英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 The Lost Daughter を見た。マギー・ジレンホール × オリヴィア・コールマン『ロスト・ドーター』

オリヴィア・コールマンのartsを味わう作品。意識の流れの書き込みが素晴らしい。
ニーナまわりの人々への屈託、映画館で沸いた怒りからダンパで超笑顔になるところまで矛盾がない。平気な顔で良くないことをしても狂気は感じない。(私の趣味としてサイコパスみが表出した瞬間に冷めるのでこれ大事)

が、映画としては長く感じた。特に「娘」がどう消えるのか見えてくる「転」以降。
どのくらい長かったかというと、おととい見たばかりの『ドライブ・マイ・カー』は本当に3時間もあったのだろうか、と相対性理論に思いをめぐらしてしまうくらい長かった。

映画館の予告編だけで「これは見たい!」と思った映画は久しぶりだったので、楽しみにしすぎてハードルを上げてしまったかも。

パンデミックで子どもからひとときも離れられなくなったために苦しんでいる保護者は想像以上に多いと思う。
身近でも家の中でFワードで怒鳴りつけたり、暴力で警察沙汰にまでなったり...。
あの、"wake up! wake up!"って起こされるの、疲れてるときはマジで切れそうになるもんね。

アノ人、まさかエド・ハリスじゃないだろうな、とドキドキしたアパートの管理人、やっぱりエド・ハリスだった。ちょっとショック。

大晦日からNetflixで全世界公開。

なんと『ナポリの物語』のエレナ・フェッランテがナポリ以前に書いた(ほぼ)同名小説『La figlia oscura』が下敷きになっている。

トレーラー。

映画 Drive My Car を見た。濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』

【2022 追記】私は下記のとおり感動して何度も見てしまったのだが、イ・ユナ役の俳優さんが手話ネイティブではないと知って完全にさめた。少なくとも米国の観客は彼女を普段から手話を使用している俳優さんなのだと思って見ていました。フェアではない簒奪に課金してしまった気分です。

今年、米国上映の国際映画としては一番勢いのある(批評家に好まれている)邦画をLAのムービーゴーアーたちと一緒に見たいと思い、ワクチン証明書を持ってシティの映画館へ行った。

とにかく原作小説にはないエレメントが良かった。
国際演劇祭が舞台だなんて聞いてなかった。最高だ。

というか冒頭のモノローグ、女性描写は村上臭が濃厚で、3時間無理かも...と不安に。
幸い、長いプロローグを経て広島に移り、ドライバーと言語色に富んだ楽しい演劇仲間たちが出てきてからはもう少し見やすいトーンになった。

物語を転がす小道具で、ごく小さいとはいえ日本国外の人が話をすんなり飲み込む上で妨げになるところがあるとすれば、シャッター音が鳴るスマホと強制的夫婦同姓(しかも女性が変えるの前提)でしょうか。
偶然、どちらもジェンダーハラスメントに(も)かかわりのある細部だ。
強制的夫婦同姓のくだりは、英語話者にとってのほうが味わい深かったのではないか。
福音という言葉が業界用語でしかない日本では、「家福音」を家福が「宗教的すぎる」とコメントしても何も面白くないし、人によっては意味が分からないだろう。
"House of Gospel"と聞いて初めてクリックするのだし、後で「そうか、あれは、あの一瞬は確かに福音の家だったのかもな...」と別レイヤーの意味を感じなくもない。

それから、舞台については本来韓国で撮影予定だったのを(あれ、サーブは輸送したのだろうか。ロジが厳しいときにすごいな)パンデミックでやむを得ず国内に変更したという事情のようだが、少なくとも米国のレビュワーの多くがヒロシマの選択に特別な意味を重ねて見ているようだ。

日本語話者の私は3時間一度も笑わなかったが、要所要所の空気が緩むところで吹き出す人がいた。英語字幕も優れていたのでしょう。
いや、でも「生きていかなければ」とかシリアスなところで笑ってるおばちゃんいたなぁ。内輪受けか?
「私はかもめ」で笑う人がいたように?

それぞれの言葉を語る舞台役者役の皆さん、みんな素敵だね。
面白いのはソーニャが口を開いたとき(つまり、手と表情を動かし始めたとき)観客が一番集中して耳を傾けるんだよ。何も鼓膜を震わせないのを知っているのに、劇場がぐぐっと「聞き逃すかっ」と吸い込まれるのが分かるのよ。
これは『エターナルズ』とか『コーダ』では起きなかったこと。

煙が車内に充満しないようにタバコをルーフトップに掲げるシーンをcommunionと表現したレビューを見て、なるほど、あの3人がたびたび点火に苦労しながら、時には火を分け合って喫煙しまくっているのは、身を削った弔いだったのかと膝を打った。雪の中でお焚き上げをした2人にもうタバコは必要なくなったんだよね。たぶん。

高槻の告白をキューに家福が定位置を後部座席から助手席に変える切り替えも良かった。
ま、ツードアは後部座席に座るの煩わしいものね...。

今日、本当は『ウエスト・サイド・ストーリー』を見るつもりだった。
が、アンセル・エルゴートの未成年に対する性暴力の告発を改めて読んでやはり課金してはならぬと思った。
彼を見るのがきついというのもあるが、エルゴートのPR露出をだましだまし絞りながら公開を推し進めたプロダクションの不誠実、ハリウッドのダブスタがむかつく。そりゃ彼以外のスターやスタッフは気の毒だけど、「彼女が傷ついたのは大したことではない」というシグナルを送ってはいけない。

上映中、彼のクレジットにブーイングが起きた、イベントで彼が登壇しても拍手ひとつ起きなかった等々白けるレポートが聞こえてくる一方で、華やかに生まれ変わったダイナミックなシーンも多々あるらしいので残念だ。

【3/2022追記】
HBO Maxで配信が始まったので毎日ちょこちょこいろんなシーンを見返している。
ユナさんの「チェーホフのテキストが私の中に入ってきて体を動かしてくれる」ってキリスト者の理想の姿でもある。そして家福の「(チェーホフのテキストは)自分自身が引きずり出される」「テキストに自分を差し出すことができればいい」というのも。「神の言葉(Jesus)」が私をアクティベートしてくれること。言語習得にも演劇が有効な理由でもある。

The Atlantic掲載のレビューの目の付け所とデリバリーがとても気に入って特に冒頭2段落はほとんど覚えて反芻するほどなのだが、緑内障のためにドライバーをあてがわれたと書かれているのは脚本と違う。
An Electrifying Adaptation of a Murakami Short Story
原作に引っ張られたのか、事務局のドライバー予算の説明を聞き流したか。
まあ、確かにあの改変は説得力がなかったのでレビュワーが思い込むのも理解できる。原作を読んでいればなおさら。「家福には本人に気づかない死角があった」というメタファーが重要すぎるし、なぜ診断ついてから2年たっても長距離運転をしているんだろう、実際に劇中事故ってるのに本人は怖くないのだろうか、とか疑問が湧いてしまう。

【3/2022追記 その2】最後のシーンでは傷が消えてるのね。

【3/27/2022追記】
濱口監督がDeadlineなどのインタビューで明かした脚本に手話を取り入れた経緯に対し、ろう者から手話の消費だという批判の声が上がっているのを知る。私は彼女を実際の韓国手話話者なのだと思い込み、上に書いたとおり、普通に感動してしまったし、周囲の観客もそうだった。濱口監督の判断を残念に思う。今晩、CODAの制作陣と同じ舞台に立つのは恥ずかしいことだ。

原作。というか素材集。

トレーラー。

SATCのリブート And Just Like That... のエピソード1+2を見た。

サマンサの空白ばかりが目立つ。四角いテーブルに3人しか座ってない。
私はミランダ派でありつつ、サマンサの懐の深さが好きなのでとても残念。
英国に行ったとぼやかすだけでなく、連絡を素無視される卒友設定だったのはわりとびっくりした。
(それがエピソード2に利いてはくるのだが)

今シーズンのキャリーにこそ、サマンサの愛と皮肉が必要だったのに。
あの状況になればシャーロットなんかうっとうしいだけ、ミランダはまだ頼りになるけどアル中フラグ立ちまくりで今後不透明。
傷ついたキャリーに朝ごはんを食べさせるときのウィンク、4人で写真におさまった後に他の3人を見やった目の優しさがもう見られないのはつらい。

ハリー(シャーロットの夫)とスタンフォード(RIP)がオールスターの中では見た目の変化が少なく逆に若々しく見えるのは興味深い。2人の共通点は?

このレビューと近い感想を持った。ロス、ロス、ロス、そしてオールドスクール。
Review: ‘And Just Like That,’ It All Went Wrong

【1/2022】
オリジナルシーズン4のミランダ母葬儀回のサマンサを見てもらい泣きした。つくづく友達がいのあるいい奴。

トレーラー。

映画 Benedetta を見た。ポール・バーホーベン『ベネデッタ』

こ、これは...... 絵づくりがおバカすぎる。
超ポール・バーホーベン。さすがポール・バーホーベン。80代にしてなお貫かれるフェティシズム。

実際、ちょこちょこ吹き出してる人いたし、ラストシーンは失笑が漏れたし、そういう映画ってことでいいんだよね?
シャーロット・ランプリングのお仕事選びのセンス泣

テーマはとても興味深い。かれらの言うところのスティグマについて知ることができた。
でも、信仰は目に見えないものに実体があると確信することでしょう?(ヘブル11:1)
不思議現象を崇めるのは神に奉仕するプロとして矛盾を感じないのかと思う。

教会で(念のため、私の教会ではない)、沖縄のライブハウスで、ベガスのレイブで、トランス状態になっている人をいろいろ見てきた。
それで感じたのは決してヘブンリーではないこと。むしろ悪魔的であること。
奇跡ではなく、あまり良くないものにコントロールされた状態。避けるべき。

ある教会で(再び念のため、私の教会ではない)、礼拝中にやたら大勢の人がトンでいてやべーと思っていたら、牧師が少し呆れた様子で「別に何のしるしがなくても聖霊は受けてますからね」と言ったとたん、全員が素に戻ったことがあった。あれは笑った。
それぞれの人にそれぞれの真実があるのは理解するが、それはファクトとは別のものだ(再現性はない)。

この映画で描かれたように、宗教が偽預言者と偽奇跡、人間同士の裁き合い、偽善の巣窟になり、マジに神の怒りが下る(ペスト蔓延)的なことは山ほどあったのだと思う。アメリカに場所を移してからも魔女狩りを始め枚挙のいとまがない。
で、記録テクノロジーが進化した今も(だからこそ?)、偽預言者サークルがますます活況を呈しているのは何なのだろうと考えていた。
私の知人でも3人も頭がQになって未だに帰還していない。

ベネデッタ役の俳優さん、SATCのサマンサにボトックス入れたみたいな表情で精彩を欠く。
ボトックスと言えば、最近初めてHBO Maxに加入して思いがけず『フレンズ:ザ・リユニオン』が見られて嬉しかったのだが、レイチェルとモニカの表情が不自然で超気になった。男衆とフィービーは変わったところも変わっていないところも含めて各々チャーミングなのだが、レイチェルとモニカについては見てはいけない...と思わせる異物感があった。CGと同じく、技術が進歩してもなかなか神業には近づけないものだなと考え込んだ。

バーホーベン監督が幼少期を大戦下のオランダで過ごしたことを知る。つまり、アンネ・フランクと同時代を生きていた。
とはいえマジョリティ側にいた彼は生き延び、長じてラジー賞監督になったわけ。いい話だ。

12/8 追記、そうだ、ベネデッタは人(と自分)をだますためなら自分を傷つけるのが平気という点では、かれらの仲間入りだ。闇深い。

ベネデッタ 豪華版  [Blu-ray]

ベネデッタ 豪華版  [Blu-ray]

  • ヴィルジニー・エフィラ,シャーロット・ランプリング,ダフネ・パタキア,ランベール・ウィルソン
Amazon

原作。歴史書としてかなり面白そう。

映画 King Richard を見た。ビーナス&セリーナ・ウィリアムズ一家の『ドリームプラン』

面白かった。ウィリアムズ一家役7人の空気感がこなれていてとてもよかった。

たまたまコンプトンにほど近い映画館で見たところ、前の席に2時間半ずっと背もたれに寄りかからず背筋を伸ばして鑑賞している黒人男性がいて気になった。理由はわからない。ただ腰が痛かっただけかもしれない。

地元のお子様の大会ですら本気で悔しがる大人のコーチたちの姿が理解しがたく、スポーツというカルチャーとメリトクラシーについて考えた。
人間がつくったルールに従って、それ自体は何の役にも立たない動作をして競争し、たまたまそれが得意でかつやってみる機会に恵まれた人が地位と富を得る。

なんじゃそりゃ。

やっぱり、努力実力というよりは all about 運だよね。
ウィリアムズ姉妹がリチャードとオーラセンの子としてズルい大人から守られ、賢く育ったことも含めて。

彼女たちに限らず、米国の場合、基本的には若いスポーツ選手に学業優先のアイデアがあるというか、有名大学のスポーツ奨学生もある程度の学力を条件とするところが健全だと思う。『The Blind Side しあわせの隠れ場所』に描かれていたとおり。(選手の7割が引退後に破産するらしいNBAは違うのか?)

便所休憩長すぎ事件は最近もあったね。チートしてんじゃないかと疑われて3分以内のルールができたとか。

【2/2022追記】
NetflixドキュメンタリーNaomi Osakaを見たら、大坂選手がまさに
Tennis is not necessary for anything.
と言っていた。自分は好きだからやってるけど、世の中にテニスは不要だし、それよりも大事なことがたくさんあると。
もちろん、この認識の上で、彼女は「今、つらい人たち」の代弁者を引き受けていて素晴らしすぎるのだが。

トレーラー。