英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

マイホーム、映画館が閉鎖に。

ついにロサンゼルスの映画館が閉鎖になった。
大統領の戦争引き起こしそうな無茶ぶりにビビり、「映画館に通える日常が続きますように」と祈ったのは1月のこと。
まったく予期しなかった理由で、しかも近所の映画館が例外なく閉まるというかつてない事態。
なんというツイストであろうか。

エンタテイメントまわり、映画館まわりでも、弱い立場で働いている人たちが心配だ。

今週見るつもりだったあの作品が再開した暁には、3倍払ってもええわ。

ちなみに、50人以上の集まりは控えろとの指令も下り、あちこちの教会がライブ礼拝に切り替え。
普段から教会堂に足を運べない人のために中継している教会が多いのでテクニカルな問題はないけれど、キリストは、とにかく集まれ、兄弟姉妹みんなで一緒に祈って礼拝して飯を食え、と励ましているので、「ライブ中継礼拝でいいや」となってしまうと聖書的ではない。
とはいえ、そのこころは、人と人が集まらなければ「互いに愛し合いなさい」が実践できへんやろ?ということ。
リモートの今こそ、ますます愛し合っていきたいものである。

ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。(マタイ 18:20)

ところで、寒々しい思いで、この本を読み返している。

映画 Straight Up (2019) を見た。ジェイムズ・スウィーニーの『ストレートアップ』

いい映画。とても好き。
Well scripted.
Well acted.
Well tuned up.
タイトルがWell said.

全体的に生々しさよりもプラスチック感があるのに、とても自分ごとに感じた。
主人公のトッド君に私の友人の姿が重なったからかもしれない。

ポン・ジュノ監督がアカデミー賞受賞スピーチでクレジットして改めて注目を集めた、スコセッシ監督のステートメントが一番に思い出される。

The most personal is the most creative.

これまでいろいろな媒体で「性的マイノリティが親元に帰る」シーンを見てきたが、本作の感謝祭帰省の場面は抜群に良かった。親側の目線も共有せざるを得ない。切ない。
逆に、Love, Simonの家族受け入れシーンがいかに適当でうさんくさかったかを思い出してしまった。
ちなみに、あのアジア系のお父さんのレイシスト発言は実際にこの街でよく聞かれるやつ...。

それから、人間に無条件の愛の達成など不可能だというのが、この物語から分かったこと。
99.9% unconditionalならいけるかもしれない。でも100%は無理。
トッド君も「親は無条件に思ってくれている」とは言うけれど、同時に親からの圧を全身で内面化している。
ローリーを愛しているのも真理だけれど、彼女がパートナーに望むことを満たしていないながら結婚まで願うのはどうしたって自分のためでもある。
だからいかんというのでは当然なくて、人間同士、その弱さを認め合っていきたいと思ったことだった。

Katie Findlay、James Sweeneyの2人を初めて知った。素晴らしく真摯で体がやわらかい。
2人で床に寝転がって初めて手をつないだときのローリーの深呼吸に私まで深い安らぎを覚えた。

久しぶりの、「ダイアローグを一語一句書きとりたい」作品だった。
そして、ここにまた新しいファミリーのかたちが生まれました。

ところで、ここではコミュニティごとに視野もメディアへのアクセスも多様過ぎて、感染症のことなんか知らないままの人も多いのでは、という感じだったが、今日はついに映画館のスタッフさんがみんなブルーのゴム手袋をしていた。
だた、先日行ったリサーチスクリーニングは満員、「サーベイ用に配ったタブレットは、ちゃんとサニタイズしてますからね」と半ば冗談交じりに言われて笑いが漏れた。その程度の雰囲気である。

トレーラー。

お隣から聞こえてくるドラマ

深夜、お隣からマンガみたいな真っ最中の物音が聞こえてきた。
女性の声に、ベッドのギシギシと途中から床をバンバン叩くような音。
今の住まいでは半年ぶり2度目である。

勘弁してくれよーと思いながら、「引き下がれ、サタン」とイエスさまの言葉でサタンを追い払い(人さまのそういう音が聞こえるのって、いろいろな意味でいいことじゃないと思うので)、イヤホンで耳をふさいだ。
1時間近く続いただろうか...。随分頑張ってたと思う。

考えてみれば、親元を出てから、自宅や宿泊先にいながらにして人さまのそれが聞こえてしまった経験は何度もある。
しかも、ロサンゼルス(今回のとは別)の件以外は、ご本人の少なくとも1人を見知っているという微妙すぎる状況だ。

1度目の記憶、
東京は山手線の内側の木造アパートで。ここは壁が薄すぎて、仕方ないところがあった。
隣室の男性と東南アジア系の女性。
このときは私もまだ好奇心にあふれた若者だったので、壁に耳を付けました。おぞましい。
壁だけじゃなく、外からも聞こえたのでたぶん窓を開け放っていたのだろう。
住宅の密集した東京のこと、他の家の人もめっちゃ聞こえていたのではないか。
近所に子どもも多かったけど、親御さんは生きた心地がしなかったのでは。

一度など、2人がもめ始め、女性がドアの外に飛び出して「そんな汚いXXXなめられないよ!!!」と叫んだこともあった。
うちに彼が来ているときにも聞こえてきたことがあって、そのあまりの生々しさに彼は「...ビデオ?」と絶句していたものだ。

2度目の記憶、
ニューヨークの友人宅で。
友人のルームメイトの男性のガールフレンドが遊びに来て、紹介された。素敵なカップルだった。
で、お部屋に引っ込んだところで、めっちゃ聞こえてきた。
友人は無言だった。お互いに聞こえないふりをした。

3度目の記憶、
ロサンゼルスで。
これは同じ住宅ではなく、隣のアパートから。
さすがに普通に暮らす分には何も聞こえない程度の距離とつくりだったので、うちのアパート内では「あれはあえて外に聞かせてるんだろう」「女性はプロではないか」という意見で一致していた。

自分の在宅時だけでも昼夜問わず聞こえたので、相当の回数だったと思う。
プロを疑われるほど芝居がかってあっけらかんとしていたこともあって、次第に聞こえてきても気にならないBGMと化していった。
が、ある週末の昼間、うちの上階の住人がたまりかねてベランダから、"Shut Up!"と叫んだのを機に音はやみ、以降、ぱったりとなくなった。

4度目の記憶が昨晩である。
おしなべて、男性は声を出さないんだな~と学んでいる。

神さま、与えてくださった環境でこういうことが耳に入るのは、どんな意味があるのでしょうか...。

映画 Emma. (2020) を見た。アニャ・テイラー=ジョイ is 『エマ。』

少々調子に乗りすぎた部分もあったけれど、面白かった。
公開時に見たはずのグウィネス・パルトロー版の記憶が全くないのだが、テイラー=ジョイのイノセンス、ファニーフェイスのはまりぶりを見るに、たぶん、何の新鮮味もなかったのだろうな。

彼女は、『サラブレッド』の役柄が感じ悪すぎて勝手に良くないイメージを持っていた。すみませんでした。
いつか、ジャッキー・ケネディとか演じてほしい。
ポートマンが『ジャッキー』でファーストレディ時代から晩年を演ったから、若いころのブーヴィエ姉妹に光を当てるのはどう?

ショックな知らせを聞いて、すぐに顔色を変え、涙を流せるって、すごいこと。
訃報とかじゃなく、にくからず思っていた人が知らん間に婚約、的な苦々しい知らせね。
私は絶対に顔に出せないので...。動揺すればするほど隠そうとしてしまうわ。
実際、「あれ、知ってた?」とよく言われるので、渾身のポーカーフェイスは成功しているものと思われる。

「転」のクライマックス、エマの失言の場面で、劇場のどよめきが異常に大きくて長くてびっくりした。
ウォーっほっほっほーい、みたいな。
効果音?と思うほどだった。
意外と原作を知らずに見に来ている人が多かったのかも。

それにしても、エマはじめ、この舞台の働かなくていい人たち、すごーく退屈そうだなぁと思う。
結婚後、醒めた後が長そう...。

音楽がとてもよかった。どれも、「もう少し聞いていたい」と思うピースばかりだった。
ミュージシャンでもあるナイトリー(ジョニー・フリン)がじゃんじゃん歌います。



トレーラー。

映画 Portrait of a Lady on Fire を見た。2019 カンヌ・クィア・パルム『ポートレイト・オブ・ア・レディ・オン・ファイア』

英語字幕で鑑賞。
長いし、蛇足てんこもりだが、絵の美しい作品。

最近読んだ、同じく肖像画家が主人公の村上春樹『騎士団長殺し』と、これも最近美術館で見たレンブラントの作品を重ねながら見た。
だって薄暗い台所のパン、チーズ、ワインが、まさにオランダ黄金時代の静物画 !!!
しかも実際にナイフを入れてかじっている !!!
フリントストーンの「マンガの肉」を実写で目にしたような感激 !!!
(但し、映画の設定はフランス革命の頃らしいので、レンブラントの時代より100年ほどあとです)

光と影が素晴らしかった。

「親のいぬ間に友達同士でヒャッハー in 18世紀ブルターニュ」もよかった。

それから、蛇足第1弾でマリアンヌが着ていた紺碧のケープがすごーく素敵だった!

ソフィが刺繍をしている姿もかわいらしいが、針仕事 = 無意識下ではセックスをしているのと同じ説を耳にして以来、「手芸するひと」の表象に対して、多少の屈託を見てしまう。
刺繍とかパッチワークとかは、服を縫ったり、靴下を繕ったりする家事とは違うしね。
キルトなんて、昔はほんとに端切れを無駄にしないための工夫だったのが、今、趣味でやってる人はわざわざ端切れを買ってるし。
百恵さんも最近、ご本を出されてましたね。

もちろん、飄々と妊娠させられている彼女の刺繍シーンが2度もクローズアップされるのだから、監督は何らかの意味を込めたのだろう。
世界中の主に女性たちが、編んだり、縫ったり、織ったり、黙々と出したり入れたりしているのを想像すると壮観である。

針仕事メタファー説はたぶんこの本だったかと。読み返したいが、Kindle版がない。

トレーラー。