英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 House of Gucci を見た。リドリー・スコット『ハウス・オブ・グッチ』

もとの話はドラマチックなのに、この退屈さはなんなのだ...。
本作の肝は殺人の動機の仮説を提示することのはずだが、そこの語りが弱すぎる。
一番印象に残ったのが最後の史実のキャプションなんですけど。

伝記・回想記好きだから思うのかもしれないけど、実話をもとにした作品は、見終わってもっとそのことについて調べたくなるようでなければ失敗だと思うのよ。

ただレディー・ガガとアダム・ドライバーのコスプレを見せられたような感じがする。言葉のせい?

会合(しかもビジネスの)で一部の人にわからない言葉でやりとりするのって超失礼だと思うんだけど、あれはフィクション?

ただ1箇所、アナ・ウィンター登場と新生グッチのショーのレクリエーションの絵には惹かれた。いいね。

日本人カモの再現、ツラ。

原作。

トレーラー。

映画 C'mon C'mon を見た。 マイク・ミルズの『カモン カモン』

プロットを読み、アメリカのロードムービーファンとしてはかなり楽しみにしていたのだが、好きな脚本ではなかった。言葉でしゃべりすぎ。
インタビュー音声、書籍のモノローグ、絵本の読み聞かせ、ドビュッシーなどを媒介にくどくどと説明しまくってしまう油こってり料理。
私には過剰、野暮天。
『フレンチ・ディスパッチ』と同じく、見ているうちに息苦しくなってくる。

一緒にいたはずの子どもが視界から消える恐怖。
私は一度、意識的に消える側になった記憶がある。駅前のお祭りに連れてってもらったとき。人ごみの中、銅像のまわりをぐるりと回ったら面白いんじゃないか?と思って決行したのだ。
大人の脚のジャングルをまんまと一周したら一緒に来ていたおじいちゃんだけが待っていて「あれー、お母さん探しに行ってんで」

今は、ちょうど2000年前にも保護者たちが味わった恐れに同情する。

さて、イエスの両親は、過越の祭りに毎年エルサレムに行っていた。イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習にしたがって都へ上った。そして祭りの期間を過ごしてから帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかずに、イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを進んだ。後になって親族や知人の中を捜し回ったが、見つからなかったので、イエスを捜しながらエルサレムまで引き返した。そして三日後になって、イエスが宮で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。(中略)両親は彼を見て驚き、母は言った。「どうしてこんなことをしたのですか。見なさい。お父さんも私も、心配してあなたを探していたのです。」
(ルカ2:41-49)

カモン カモン(字幕版)

カモン カモン(字幕版)

  • ホアキン・フェニックス
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トレーラー。

映画 The Power of the Dog を見た。ジェーン・カンピオン × ベネディクト・カンバーバッチ『パワー・オブ・ザ・ドッグ』

ジェーン・カンピオン怖いんだけど泣
『ブロークバック・マウンテン』と同じ後味。
主人公、この時代のこの土地に生まれたためにほんとにしんどかったね、最後まで何もいいことなかったじゃん...ってすごくかわいそうになるやつ泣
↓↓ ホラ、苦しそうすぎる泣 ↓↓

わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください。(詩篇22:20)

小麦にふりかかった血潮、いけにえの毛皮で人殺し(?!)など、はっきりと聖書的な暗喩もたっぷり。

カンピオン監督の作品はやはり『ピアノ・レッスン』が思い出深い。スコアを買ってあのテーマを練習したりもした。
友達と『スクリーン』『ロードショー』誌を交互に買って、今でいうイオン的な田舎のショッピングセンター内の映画館に制服姿で見に行っていたころ。
それで今、年齢は数字!とはいえ、うちの両親と変わらない年でこれ作るの怖すぎるよ。
ブラボー。

ただ、この空気感は北米大陸じゃないでしょう...とずーっと引っかかっていた。そこかなり残念。
ザ・アメリカ物語なので。

12月1日からNetflixで全世界公開。

1967年刊の原作。

邦訳が近刊で2種類出てるのはなんでや。版権切れてないよね。

ロケ地はニュージーランドだって。

トレーラー。

映画 Eternals を見た。クロエ・ジャオの『エターナルズ』

今更ながら。まったく興味なかったのだが、主に日本のムービーゴーアーたちから流れてくる感想を読むうちに、ドラマやコメディでしか見たことのない個性派スタアたちが必死でヒーローごっこするところを見たい、クロエ・ジャオ監督の挑戦を寿ぎたいと思うに至った。

行ってよかった。
バリー・コーガンが『聖なる鹿殺し』のキャラクターと完全一致でかなり魅力的だった。

CGアニメが重心の移動の演出でいつまでたっても手描き、2次元を超えられないのはなぜだろうと考えていた。
みんな人間じゃないんだと言われればそれまでだが、ディヴィアンツに飛び乗るとことか、後ろからどつかれて倒れるとことか、結構ひどいぞ。
2次元は誇張ができるので人の目をだましやすいのはわかる。本物より本物らしく見せるのは芸術の本質ね。
でも100年以上2次元アニメではずみをつける方向とか遠心力の働き方とか知見をためてきてるわけじゃないですか。
それを適用できないのはなぜ?
ポリゴンが多いと制御しきれないのか? そうだとしたらアニメーターの歯がゆさは想像できるけれども。

最後にマッカリのセリフから。

真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネ9:32)

エターナルズ (字幕版)

エターナルズ (字幕版)

  • ジェンマ・チャン
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一応これで予習したよ。

トレーラー。

映画 Ich bin dein Mensch (I'm Your Man) を家で見た。『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』

適度にチープでグー。

人間。それは祈るもの。

そして、人をとことん知り尽くす、というのは、聖書でいうところの神に近づくことなのだなと。

相手を幸せにするために存在しているけど(それゆえ)求められても"Es ist kein guter Moment"と取り合わないところ。

神は、その子どもにとってのベストを知っておられる。そのためにはすぐに願いに応えられないことも往往にしてある。

主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。
あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。
あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。
わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。
(詩篇139:1-4)

我に返る朝のシーンを見て、このくらいのレベルの人工知能でも人間相手のケアワークは無理かなあと思った。
病状がかえって悪化するかもしれない。
愛されることはできたとしても、愛することができないのだから。
たとえば、立板に水のごとく喋り続ける傾向がある患者の聞き役だったら、ハムスターとかのほうがずっとよい仕事をしそうな気がする。
だからトムもあっけなく去ったのだ。これ以上一緒にいるといつか彼女が壊れると計算したのだ。

ところで日本のケアワーカーの方々、月収30万円ももらえてないとか恐ろしい声がきこえてくる。
パンデミックを経てずっと十分な手当が支給されていないようで気の毒すぎる。
こっちのコロナ病棟でがんばってる(終わった雰囲気になってるけどまだ終わってない)RNの友人は月12日勤務で1.5万ドルもらってるのに。かれらの命がけの仕事を見たら、前線に立った人たちに最低コロナ御殿が建つぐらいでないと社会としておかしいでしょう。

ドクター・アルマのアパートのそばにそびえるドームが素敵。

トレーラー。