英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

2021年アカデミー短編ドキュメンタリー映画賞ノミネート作5本を家で一気見した。

昨年に引き続き印象に残った順に。

■ Hunger Ward 『ハンガーウォード 飢餓病棟』
イェメンの小児栄養失調病棟のレポート。
悪いのは全部大人。
私が子どもの頃、親は食事のしつけの際に「食べられない子もいるんだよ」という言い方をした。
当時のモーターボート協会のCMやトットちゃんのイメージもあってそのときはいつもアフリカの子どもたちを思い浮かべた。
数十年たって、今も飢餓に襲われる地域は減らず、それどころか日米でもまともに食事のできない子は増えていて本当にごめんなさいという感じ。
ひとまず、映画が作られた目的のひとつに応えようと映画の公式サイトを通じて寄付をした。
亡くなった子も含めて患児が女の子ばっかりだったのは偶然だろうか。

■ Do Not Split 『不割席』
今日、米報道官が北京五輪ボイコットの検討を示唆した。
これほど若い人たちが「自分は捨て石になる覚悟がある」と。なんという不条理。
ちょうど抗議活動が始まる前に日本の電車内で出会った香港人サイクリストカップルのことをよく考える。

YouTubeで全編公開中

■ A Love Song for Latasha『ラターシャに捧ぐ 〜記憶で綴る15年の生涯〜』
ハーリンズさんのことを初めて知った。
黄色い看板のリカーショップから始まって街の風景が私にとってもすごくなじみがあって、黒人とアジア系の諍いの根はここにもあったのだなと思った。
先日見た17 Blocksを凝縮したような作品。

Netflixで公開中。

■ Colette 『コレット』
大戦中にレジスタンスに加わっていたコレットが90歳を迎えて初めて兄が死んだドイツの収容所跡を訪れる。
やっと悲しみが薄れてきた、と言う一方で、ドイツで開かれた歓迎会で誰の話も聞きたくない、と癇癪を起こすコレットに、なぜか関西の同和教育を思い出した。
級友のひとりがよく言っていたこと。
「同和地区があったことをわざわざ教えなければいいのにね。何も知らなければそもそも差別しないでしょ?」
とんでもない。人間は同じ過ちを繰り返すのだから、せめて取り返しのつかない過去の苦しみをなきものにしてはいけないのだ。忘れてはいけないのだ。

YouTubeで全編公開中。

■ A Concerto is a Conversation 『ア・コンチェルト・イズ・ア・カンバセーション』
音楽家クリス・バワーズの小さなメモワール。
じいさんが語るジム・クロウのフロリダからディズニーコンサートホールまでの旅路。
興味深いが、編集が好きじゃない。
最後のプレミアコンサート、日程的にロックダウン前のはずだが空席が多くて気になった。

ingoditrust.hatenablog.com

トレーラー。

車いすの友人と遊びに行く #伊是名夏子さんを支持します

5年ほど前の話。
ルークの友人ジョンは歩くことができず、ずっと車いすを利用している。
彼もまじえて4人でサンフランシスコに1泊旅行に出かけた。

週末のダウンタウンは混んでいた。
しかし、歩けないジョンが許可証を持っているため、私たちはパブリックパーキングの一番いい場所にすぐ停めることができた。

米国のDisabled Person Parkingの確保要件は厳しく、許可証を持たない人の駐車が違反であるのはもちろん、ちょっとはみ出して停めてしまっただけでも$200~の罰金が科される。

レオタードのお姉さんがサーブしてくれるウイングレストランに出かけたら、明らかに他のどのテーブルよりもお姉さんたちがチヤホヤしてくれた。
ジョンは大胆にも「一緒に写真撮ってくれない?」とキュートなお姉さんを指名した。
みんなでアメリカンスマイルの写真をたくさん撮った。

夜、通りで一番人気のバーに繰り出すと、1ブロックにわたって行列ができていた。
私たちが並ぶと、レセプショニストが「ちょうど広い席が空いたから」と列をとばして先に入れてくれた。
(これは車いすで利用できる席の問題で、空いてなければ普通に待ったと思う)

バーで飲みまくっているうちにジョンは眠ってしまった。
ルークが「いいよな、車いすはー。帰りも寝たまま連れて帰ってもらえて」と言って笑った。

どんなに混雑している駐車場でもスッとベストスポットに停めるたび、
ルークとジョンが「だから君を誘ったんだよ~」「Anytime, you guys owe me」とふざけ合っているのを見て初めはぎょっとした。
「冗談でもそんなこと言っていいの?」って。

でも帰る頃にはむしろそれが心地よくなった。
2日間、普段は何にパッションを感じているのか、それだけをたくさん話した。

今は仕事仲間のひとりである。
込んでる人気スポットに行くときは飯つきで誘ってみる笑

そして彼の言ったとおり、I owe youと思ってる。
私が全然見えていなかったことに気づかせてくれてありがとう、と。

でも、映画館に行ったとき、そのシアターの車いすゾーンの位置が気に入らなければ私は一緒に座らない。分かれて好きな席で見る。
後で合流していくらでも話せるのだから。
今週ようやく私たちの行きつけの映画館が再開する。この映画館は小ぶりなので、後部の入口入ってすぐの車いすゾーンが一番良い席なのだ。
オンラインでできる支援はわずかだったけど、よく持ちこたえてくれた。楽しみだ。

映画 Shiva Baby を見た。エマ・セリグマンの『シヴァ・ベイビー』

濃厚かつ軽妙な一幕劇で大変面白かった。
シヴァ(仏教でいう初七日?)が舞台で聖金曜日にぴったりだった。
主人公のダニエルがろくに呼吸をしていないので、こっちも全然息がつけない。抜群の構成力である。
ジェンダー、セクシュアリティ意識への目配りが行き届いているのも素晴らしい。

言葉づらだけでも十分楽しめたけれど、おそらくたっぷり裏書きがあるのではないかと思う。
ユダヤ文化に縁があればもっと笑えるに違いない。
今回捕獲したイディッシュ語:
shul
shiksa(私が口に出すことは絶対にない)
rugelach
bubala

ではグッドフライデー礼拝に行ってまいります。

追記:受難日の断食をしたはいいけど、食べ物のことばかり考えてしまって説教が耳に入らず...。失敗。
ほんで、1年以上ぶりにパンダにいって大盛りto goしてしまった。

トレーラー。

映画 17 Blocks を見た。ホワイトハウスの裏手から『17 Blocks 家族の風景』

ぐいぐい伝わるローデータ・ドキュメンタリー。
ホワイトハウスから17ブロックの界隈に暮らす家族の20年を監督と本人たちが撮った。

場所柄、2回の大統領選の夜の描写もあるのだろうな、と思ったのだがとんでもなかった。
終始「政治ナニそれ食えるの?」とでも言われそうな雰囲気。
これほどキャピトルの近くにいながら、選挙人登録もまともにしていなかったのではないか。

古く美しい建築の大ぶりの家が並ぶのに、空気は剣呑なストリート。LAセントラルやボイルハイツのよう。
『心臓を貫かれて』のごとく、血筋が呪われているのではないか、永遠に薬物中毒と暴力が連鎖していくのではないかと思わせる不穏さ。

独特の弔いの「カルチャー」が印象的だった。
故人の写真にグラフィック処理をしてRIP Tシャツをつくり、葬儀でみんなでお揃いを着る。
そのプリクラみたいな安いデザインの数々が印刷店に「商品例」として掲げられている。
どの故人も、イマニュエルと同じような青年たちだ。
人々はそれを見て「この人はうちの子の前日に死んだんだ」「4か月前だ」って...。

背景にビヨンセが流れる家の中で、殺された兄弟の血痕を掃除するシーンには誰もが無言になるだろう。
なんという日常。

幸い、ラストでついにかすかな光が差す。
Matt Zoller Seitzがレビューの中でシェリルのプロフィールにふれ、長くしらふを維持できていること、現在は地域のアクティビストでもあることを挙げて「すべてを見てくれ、というのが彼女の意思なのではないか、だから何年も前から動画の記録を始めたのではないか」と述べている。

That something so beautiful came out of suffering should give her some comfort, for whatever it's worth. At least the story was told, and others can see it.

  • Matt Zoller Seitz "17 Blocks" review

たぶん、これから議会やホワイトハウスの中継を見るたびに、「この背後に彼らが...」と思い浮かべると思う。

本編のあとに流れた監督とシェリル、スマーフのオンラインインタビューがよかった。
明るい笑顔にほっとしたし、スマーフはNever too late、と言ってくれた。

坊ちゃんのジャスティンはジョン・レジェンドに似てる。

トレーラー。

映画 Words on Bathroom Walls を家で見た。『僕と頭の中の落書きたち』

拍手。佳話だ。
認知症に続き、統合失調症の当事者の声を聞く。
リアルを認識できるのは、誰かがいてくれるからこそ。

僕と頭の中の落書きたち

僕と頭の中の落書きたち

  • アナソフィア・ロブ
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それから、最近精神科医の本で読んだ、人は「未知の幸福より既知の不幸を選びがち」という知見について思い巡らした。
実際、「心の底では病気を治したくないんだろうな」と思われる人はいる。治ってしまって病気を言い訳にできなくなるのを恐れているんだろうな、って。
この作品のアダムも変化に怯え、勝手に薬をやめて病気に留まるが、自分が不完全であることを認めてようやく脱出に向かう。

それでも私は、どんな状態も本人が意識的・無意識的に選んだ結果なのだ、というアイデア(アドラー?)は危険だと思う。少なくとも他人に対して「本気で治す気ないんだろう」と決めつけたくなる自分には抗わないといけないなと思った。

私自身、変化を恐れないつもりでも、誰かが引っ越すとか(知らない隣人でも!)、誰かが会社を辞めるとか、そんな小さなことにわりとショックを受けているではないか。

母親の妊娠に動揺しまくるアダムの気持ちはなんだかすごく分かるのだ。

ダニエル・スティールが躁うつを患った息子ニックの生涯を綴った『輝ける日々』では、人々はニックを環境の変化から守ろうと奮闘する。しかし、ニックも含めて人は変わるものなので、そうそううまくいかない。
ようやく信頼を得たカウンセラーの女性が、ニックを動揺させまいと妊娠を隠したまま昼夜のない世話役に邁進し流産してしまう、という悲惨なエピソードもあった。

アンディ・ガルシアの適当な神父、よかった。
アダムへの励ましに型通りの聖句(第2テモテ1:7)を伝えたら「もっと他のない?」って言われるとかね。
聖書にもあるとおり、神に対して、つまり人に対して弱さを隠そうとするのは罪だと改めて教えてくれた。

深くアダムを理解した義父の最後の機転とウインクも忘れません。

料理人アダム、寿司弁当にわさびチューブ、七味まで持参しててナイス。

原作。一人芝居にも脚色できそう。

トレーラー。