英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Words on Bathroom Walls を家で見た。『僕と頭の中の落書きたち』

拍手。佳話だ。
認知症に続き、統合失調症の当事者の声を聞く。
リアルを認識できるのは、誰かがいてくれるからこそ。

僕と頭の中の落書きたち

僕と頭の中の落書きたち

  • アナソフィア・ロブ
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それから、最近精神科医の本で読んだ、人は「未知の幸福より既知の不幸を選びがち」という知見について思い巡らした。
実際、「心の底では病気を治したくないんだろうな」と思われる人はいる。治ってしまって病気を言い訳にできなくなるのを恐れているんだろうな、って。
この作品のアダムも変化に怯え、勝手に薬をやめて病気に留まるが、自分が不完全であることを認めてようやく脱出に向かう。

それでも私は、どんな状態も本人が意識的・無意識的に選んだ結果なのだ、というアイデア(アドラー?)は危険だと思う。少なくとも他人に対して「本気で治す気ないんだろう」と決めつけたくなる自分には抗わないといけないなと思った。

私自身、変化を恐れないつもりでも、誰かが引っ越すとか(知らない隣人でも!)、誰かが会社を辞めるとか、そんな小さなことにわりとショックを受けているではないか。

母親の妊娠に動揺しまくるアダムの気持ちはなんだかすごく分かるのだ。

ダニエル・スティールが躁うつを患った息子ニックの生涯を綴った『輝ける日々』では、人々はニックを環境の変化から守ろうと奮闘する。しかし、ニックも含めて人は変わるものなので、そうそううまくいかない。
ようやく信頼を得たカウンセラーの女性が、ニックを動揺させまいと妊娠を隠したまま昼夜のない世話役に邁進し流産してしまう、という悲惨なエピソードもあった。

アンディ・ガルシアの適当な神父、よかった。
アダムへの励ましに型通りの聖句(第2テモテ1:7)を伝えたら「もっと他のない?」って言われるとかね。
聖書にもあるとおり、神に対して、つまり人に対して弱さを隠そうとするのは罪だと改めて教えてくれた。

深くアダムを理解した義父の最後の機転とウインクも忘れません。

料理人アダム、寿司弁当にわさびチューブ、七味まで持参しててナイス。

原作。一人芝居にも脚色できそう。

トレーラー。