英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 The Farewell を見た。ルル・ワン監督 x オークワフィナ『フェアウェル』Based on A True Lie.

なんというオチ。さすが中国四千年の仕込みは違う。感動した。
客席からは苦笑にも安堵にも似た親密な声が上がり大拍手。
現時点で私の2019年暫定1位です。

冒頭、長春とNY間を飛び交う互いを思いやった言いつくろいの応酬から最後の「私がウソを言うはずないでしょ」まで、真実のウソがぎっしり詰まった100分間。
気づいたら笑っているのに泣いているのだ。

余命告知云々というプロットを聞いてまずエッ?現実味なくない?と思ってしまったのは、いつの間にやらアメリカだけでなく日本でも告知が普通になっているということなんだろうな。

日本だったら激甘になりそうな物語を、はしゃがず、ツボのピントを一切はずさず作り込んだ監督の手腕に感謝。
酒に酔って泣きじゃくる新郎、Chinese Way に沿う決意をして走るビリーの姿に心から共感した。

公開前から各所レビュワーたちがオークワフィナを大絶賛。
「自分がキャスティングディレクターなら、役柄の人種や国籍や性別が何であろうと、彼女を一番にリストアップする、だって演じられるんだもの」とまで言っていたが、彼女を見ていると、ダブルカルチャーを内包する人物の "Beauty" が文字どおり体現されていて興奮する。(美じゃないんです、Beautyなんです)

映画は本と同じく、誰かが見て初めて完成する、というか、人によって受け取り方が千差万別のはずだが、本作の映画館鑑賞体験では特にそのレイヤーが多重になっているように感じた。
中国語の台詞に人一倍笑う人、中国の「あるある」に共感する人、長春だけでなくチャイナタウンの風景に反応する人...。

ところで、外国とのつながりが大きいのに意固地に検閲バリバリ、でも大発展している不思議の国、中国について。
おじさんがビリーに「中国ではアメリカと違って個人は自分のものじゃないんだ、家族や社会の一部なんだよ」と諭す台詞がある。
(実は私たちキリスト者にとっても自分は自分のものじゃないんですけど、そこは置いておく)
でも、中国では天安門から30年たった今も、その「一部」に含まれていない人が大勢いることを忘れてはいけないと思う。
あの国には信教の自由がない。国家主席を信じない人にとっては地獄である。

この映画の家族は結婚式に党関係者も列席してるし、部屋には夫婦で人民服らしきを着た写真が掛かってるし、中国ではマジョリティとして生きてこられたほうなんだろう。
けれど、少数民族、キリスト教、仏教、道教などの宗教の信者に対する迫害は年々激化している。
ウイグル族の拘束については日本の一般紙でも報道されていたが、それは氷山の一角。
大勢の宗教者がびっくりするような手段で尋問、拷問、拘束を受けている。

現政権が寺や教会や仏像を壊す(政府が「アレ以外拝んじゃダメ」と言って東大寺を爆破するのを想像してください)。
信者の自宅に監視カメラを設置する。移動を制限する。逮捕して洗脳キャンプに何年も拘束する。

映画には、家族総出で先祖のお参りをし、墓を囲んで飲み食いしまくるという温かいシーンがあるが(何式の墓碑、拝礼なのかは不明)、キリスト者の場合は葬儀さえ妨害されたりする。

私が一番ひどいと思うのは、家族で連帯責任をとらせるやり口。
家に1人信者がいたら、家族のほかの人が就職できなくなったり、大学に行けなくなったりするわけ。
当然、家庭は崩壊する。

米国務省も毎年のように人権状況の報告書を出して中国を批判しているけれど、それを理由にした経済制裁などの措置はとれていない。

そう考えると、アメリカ映画とはいえ中国にお金が落ちているはずのこの映画もボイコットしなきゃいけないのかもしれないですね...。
関わっている人は誰も悪くないけれど、中国共産党に対する抗議として。
見られる映画がなくなるが...。

でも感激した勢いで早速、家族問題に悩む友人2人に「最高!見て!よかったらお供するし!」とテキストしちゃったので、多分もう一度見に行っちゃいます...。

中国語でアメリカって「美国」なんだよねえ...
米国と同じで読みの当て字ではあるけれどイメージに影響を及ぼすんじゃないかな。
日本語だって、行ったこともなくても愛蘭土って華憐な国だろうな、とか思うじゃないですか。略称「愛」だよ。

8/11追記、
別の映画館で違った客層と一緒に2度目の鑑賞。
見落としていたカット(中国の一瞬の暗部とか)、聞き落としていた言葉(「これからは1人でできなきゃいけないんだから」)に心揺さぶられた。
そして、私が何よりも見逃していたメッセージはエンドクレジットのテーマ曲。
誰もが知っている愛のうたを、英語でも中国語でもない言葉で聞くの。
刺激的なアートだと思いました(もちろん、イタリア語が分かる人にはまた別の意味をもって響くのでしょう)。
ルル監督ブラボー。

NYに戻るビリーたちの背後に流れるCome Healingのカバーもよかった。2度目でも涙が止まらない。

トレーラー。

オークワフィナ、いまいちコルベアとの相性は良くなさそうですねえ。顔パンパンだけど、前日飲み会だったのかしら...。

映画 Maiden (2018) を見た。世界一周ヨットレース制覇の女性チーム『メイデン』

女子ワールドカップ選手の凱旋に湧く今、DTLAにRapinoe選手の大バナー(NIKE広告)が掲げられていてワクワクするかっこよさ。
そこで、1989年、世界一周ヨットレースに初めてオール女性クルーで挑んだチームMaidenのドキュメンタリーを見た。

リアリティショー風の現在の彼女たちのインタビューよりも、9か月間にもわたるレースの海上からの貴重映像がすべて。
嵐のサーフィン、凪の朝焼け、他チームの仲間の死。
たくさんのボートに迎えられたゴール。

でも実はどの映像よりも、チームメイトの1人が発したオーストラリア到達前の言葉のほうがはるかにまざまざとイメージを広げてくれた。
「陸のにおいがする。熱い土のにおいがする」

ノアの箱舟の水揚げを思わせます。

出航前のゴタゴタは大まかなお金の工面以外にはあまり描かれていないけれど、登山家、田部井淳子さんたちの仕事を思い出さずにはいられなかった。
準備期間が長期すぎて、関わる人も多過ぎて、そもそも山へ行くまでの苦労が並大抵ではないわけ。
しかも生活費を稼いだり家族のケアをしたり個人個人が生活をしながらですよ!

数年おきのレースにクルーが足並み揃えて参加したというだけで奇跡的な達成だと思う。

ところで、現在もはつらつと美しい「現在のチームメイト」たちのリユニオン場面がなかったのは意図してのことでしょうが、「仲悪いんだろうか」、「誰かがヤダと言って揉めたんだろうか」とかちょっと穿った考えが浮かんでしまいました。

スキッパー、トレイシー・エドワーズのメモワール。

Maiden

Maiden

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トレーラー。

映画 The Chambermaid (La camarista) を見た。リラ・アヴィレス監督『ザ・チェンバーメイド』

Another 『ROMA/ローマ』
あちらはメキシコシティの豪邸、こちらはニューメキシコのインターコンチ奥深くに広がるパラレルワールドが舞台。
同じ低所得労働者の暮らしとはいえ、ローマとはまた別の異世界の魅力。
社食のご飯のまずそうなこと。

主人公の女性がよく似ている。どちらも自我なるものを自覚したことがないような。
4歳の息子がいれば貧しくても人生バラ色じゃない?と思うけど、それは「上から目線」になるのだろうか。

LAでもラティーノの隣人たちにありがちなのは、10代のとば口から出産を始め(未婚のまま率高し)、男が失踪したり(ローマだ)、結婚したかと思えば即離婚したり(自称カトリックなのに)...。
で、だいたい教育が中途半端になっている。さらに次の世代へ貧乏子沢山が無限ループ。
暮らしに満足している人ももちろん知っているけれど、まるで兄弟みたいな親子が多くて、子どもは離婚した父母の間を行き来して(それでも運がいいほう)側から見ていると危なかしい。とりあえず子どもは大丈夫だろうか?と。
コミュニティの中で、せめて高校までは独身のまま修了するのが当たり前になったほうが少なくともアメリカでは生きやすいと思う。
メキシコはどうか分からないけど、エベの日常を見る限り、たぶん同様に貧乏を抜け出せないよね。

ところで、日本人と思われる客のチップ、ちゃんと現金も置いて行ったんでしょうね??
前からの流れもあってエベは喜んでたけど、ポチ袋に押し花入ってたら普通はキレるわ。
折り鶴がなかっただけマシか。

トレーラー。

TIFFの監督Q&A。彼女にとっての外国語で丁寧に答えています。

映画 Toni Morrison: The Pieces I Am を見た。『トニ・モリスン ザ・ピーシズ・アイ・アム』

昨年 RBGWon't You Be My Neighbor? がヒットしたせいか続々と人物ドキュメンタリーが公開されているのだが、その中で見ると本作は地味。
トニさんで今1本長編撮る必要あったかな、無理に作ったね、という感じがしてしまう。
作家が書くに至った道にはとても興味があるし、アメリカのマイノリティの1人としてトニさんの仕事には感謝しているし、もちろんトニさんに非はない!のですが、あんまりドキュメンタリー作品として面白くないんだよね...。

この文豪は、肉を削り、わあわあと生活に巻き込まれながら書き続けているのがいい。
内田樹氏が言うところの「文学の力の担保」だ。長いが引用する。

僕は今の作家の社会的なポジションというのがどうもちょっとまずいんじゃないかなと思う。たとえば、夏目漱石は日本を代表する大知識人で、大学者だったんですが、東京帝国大学を辞めて朝日新聞に入って小説を書きはじめるでしょ。森鴎外は軍医総監でしたよね。それぞれがオモテの世界で高いポジションにありながら、同時に物語作家としてその時代において最も質の高いものを生み出した。この真面目さが「文学の力」を担保してたんじゃないかな。社会における「表の生き方」をきちんと貫いている人が、その上で文学をやるからこそ文学に力があった。


村上春樹さんがイスラエルで文学賞を貰うにあたって講演をしましたが、あの講演で村上文学の「力」は増したと思う。パレスチナ問題という非常になまなましい、困難な政治的問題に関して、作家が私見を提示した。きわめてポリティカルな行為で、そんなの別に作家の責務じゃないんだけれど、文学と政治について、まっすぐに論じてみせた。


僕は作家はトリックスターじゃなければいけないと思うんです。トリックスターって「二つの世界」に同時に帰属している者のことでしょ。トリックスターが効果的に機能するためには、それぞれの世界に同じくらいに深くコミットしている必要があると思うんです。世俗の世界でも、幻想の世界でも、同じくらいにリアルな人じゃないと、トリックスターとしては機能しない。


堅気の生活者として生きながら、高い文学的達成を成し遂げた人。樋口一葉とか石川啄木とか宮沢賢治とか、いるじゃないですか。あの人たちは生活者として、家族の一員として、市民として誰もが直面しなければならない経験をまっすぐに苦しんだ人たちだからこそ、「裏の仕事」としての創作活動に力があるんだと思う。それが現実を揺さぶる力になっている。現実にまったくコミットしていない人が、部屋に籠ってこりこりと作品書いても、それは現実を揺り動かす力を持たないんじゃないかと思いますね。

内田樹、釈徹宗、名越康文著『現代人の祈り』から。
(この後、「宗教者もトリックスターだ」という話が続き、めちゃ面白いです。祝福の意味など、いちキリスト者としても言語化できていなかったことが解き明かされて瞠目させられた1冊。)

でも、ノーベル賞受賞で記者に賞金の使い道を聞かれて、半分冗談ぽくだけど住宅ローン返済にちらりと触れたのが少し残念。
だって賞金の使い道、ってゲスい質問でしょー。
彼女の受賞のニュースはよく覚えているので、その映像が妙に古いのにもショックを受けた爆。

彼女が筆一本で立つ前に優秀な編集者だったことは知らなかった。

トニさんの海辺の自宅、すごくいいね。

ノーベル賞の受賞理由に挙げられた代表作。

トレーラー。

7月21日(日)絶対に参議院選挙に行こう。

私が今、毎日一番に祈っているのは日本の救いです。
具体的には、7月21日の選挙の投票率が65%を超えることを願っています。
今回の選挙は日本国がまともな近代国家でいられるかどうかの最後の分岐点だと思うからです。

日本の全国紙は「与党過半数」、「低投票率」予測のとばし記事をばらまいています。
「まだ決めていない」人の数字さえ考慮せず、ひどい話です。

アメリカでは2016年、メディア、アカデミアが最高で「99%」と予測した選挙結果は外れました。
(確率1%の予測が当たったわけで外れではないとも言えますが)
で、メディアは調査方法を反省し、謝罪しました。
同じように日本でも、政権の息がかかった大メディアが取りこぼしていた人たちの声が圧倒的な力になって結果に表れ、メディア赤っ恥、嬉しい驚き!な結果になることを期待しています。

目を覚ましてこのチャーミングな国を守ろう。
最低でも、現政権の憲法違反しまくりによってすでに奪われつつある国民主権と基本的人権を取り返そう。

気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。(マルコ13:33)

追記、先日、望月衣塑子記者の講演会に行った。何人かの座談形式だったのだが、自分も登壇者なのに発言していないときは常にメモをとっているのが印象的だった。そして麻生大臣のモノマネが異常にうまかった笑
でもねえ、政治家に質問しているだけの望月記者が目立ってしまうのはすごーーーくおかしなことなんですよ。レポーターは最低限彼女のような仕事をしてしかるべきでしょう。
もう少し日本にいられれば『新聞記者』も見られたのに!残念。