英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Toni Morrison: The Pieces I Am を見た。『トニ・モリスン ザ・ピーシズ・アイ・アム』

昨年 RBGWon't You Be My Neighbor? がヒットしたせいか続々と人物ドキュメンタリーが公開されているのだが、その中で見ると本作は地味。
トニさんで今1本長編撮る必要あったかな、無理に作ったね、という感じがしてしまう。
作家が書くに至った道にはとても興味があるし、アメリカのマイノリティの1人としてトニさんの仕事には感謝しているし、もちろんトニさんに非はない!のですが、あんまりドキュメンタリー作品として面白くないんだよね...。

この文豪は、肉を削り、わあわあと生活に巻き込まれながら書き続けているのがいい。
内田樹氏が言うところの「文学の力の担保」だ。長いが引用する。

僕は今の作家の社会的なポジションというのがどうもちょっとまずいんじゃないかなと思う。たとえば、夏目漱石は日本を代表する大知識人で、大学者だったんですが、東京帝国大学を辞めて朝日新聞に入って小説を書きはじめるでしょ。森鴎外は軍医総監でしたよね。それぞれがオモテの世界で高いポジションにありながら、同時に物語作家としてその時代において最も質の高いものを生み出した。この真面目さが「文学の力」を担保してたんじゃないかな。社会における「表の生き方」をきちんと貫いている人が、その上で文学をやるからこそ文学に力があった。


村上春樹さんがイスラエルで文学賞を貰うにあたって講演をしましたが、あの講演で村上文学の「力」は増したと思う。パレスチナ問題という非常になまなましい、困難な政治的問題に関して、作家が私見を提示した。きわめてポリティカルな行為で、そんなの別に作家の責務じゃないんだけれど、文学と政治について、まっすぐに論じてみせた。


僕は作家はトリックスターじゃなければいけないと思うんです。トリックスターって「二つの世界」に同時に帰属している者のことでしょ。トリックスターが効果的に機能するためには、それぞれの世界に同じくらいに深くコミットしている必要があると思うんです。世俗の世界でも、幻想の世界でも、同じくらいにリアルな人じゃないと、トリックスターとしては機能しない。


堅気の生活者として生きながら、高い文学的達成を成し遂げた人。樋口一葉とか石川啄木とか宮沢賢治とか、いるじゃないですか。あの人たちは生活者として、家族の一員として、市民として誰もが直面しなければならない経験をまっすぐに苦しんだ人たちだからこそ、「裏の仕事」としての創作活動に力があるんだと思う。それが現実を揺さぶる力になっている。現実にまったくコミットしていない人が、部屋に籠ってこりこりと作品書いても、それは現実を揺り動かす力を持たないんじゃないかと思いますね。

内田樹、釈徹宗、名越康文著『現代人の祈り』から。
(この後、「宗教者もトリックスターだ」という話が続き、めちゃ面白いです。祝福の意味など、いちキリスト者としても言語化できていなかったことが解き明かされて瞠目させられた1冊。)

でも、ノーベル賞受賞で記者に賞金の使い道を聞かれて、半分冗談ぽくだけど住宅ローン返済にちらりと触れたのが少し残念。
だって賞金の使い道、ってゲスい質問でしょー。
彼女の受賞のニュースはよく覚えているので、その映像が妙に古いのにもショックを受けた爆。

彼女が筆一本で立つ前に優秀な編集者だったことは知らなかった。

トニさんの海辺の自宅、すごくいいね。

ノーベル賞の受賞理由に挙げられた代表作。

トレーラー。