今年は除夜の鐘ならぬ、花火の音を聞きながら、独訳稿を校正していました泣
「ドイツ語」にいかなる印象をもつか言い表した言葉で非常に共感をおぼえたものが2つあります。
完全な引用ではないですがご容赦ください。
ドイツ文学者の池内紀氏が、マンの『魔の山』を夢中で読んでいるとき、荘厳な伽藍の中をめぐり歩いているように感じた、とのこと。
(出典は、たぶん『外国語をどう学んだか』(講談社現代新書) )
ドイツ語で書く作家の多和田葉子氏は、ドイツ語で文章を紡ぐとき、自分のまわりにひとつひとつレンガを積み重ねているように感じる、と言っていました。
これは、NHKのドイツ語学習番組のインタビューで見たのですが、その場にいたドイツ語のネイティブスピーカー2人が、「へえ、そんなふうに感じたことはない」と驚いていたのが印象的でした。
言葉の雰囲気が「見える」のは、第二言語として身につけた言葉だからこそでしょう。
母語は意味をもって入ってきてしまうので、残念ながら私は、日本語が普遍的に美しいのかどうか、耳にどう聞こえるものなのか、感じることはできないのです。
イタリア人のマリアが日本語の文庫本を見て、"こんなのどうやって書くの?No way! Look at this!"と、いかに漢字が複雑に見えるか、大騒ぎしていました。
ゴンザレスは「かたくりこ」という日本語が好きなんだ、と話してくれました。
漢字を図形として見ることができたら、意味をもたない音として聞くことができたら、私はどの日本語を好きだな〜と感じるのかな。
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"Eat, Pray, Love"にも、
エリザベス・ギルバートが、"Attraversiamo" ("Let's cross over")と口にするのが好きで、
道を横切りまくったというくだりがありますねー