英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

繁栄できない原因(シリーズ献金 その23)

日本の教会で礼拝にあずかる機会に恵まれた。
そこで日本のキリスト教人口が1%を超えられない原因の一端を見たので、さばいてるように聞こえるかもしれないけれど事実として書いておく。

そのプロテスタント教会は、メガチャーチとは言わないまでも日本では大きいほうの教会なんだと思う。
伺った日も広い礼拝堂はかなり埋まっていて、私を含めて旅行者風の初来会者も何人かいた。
メッセージは魂が燃えるような内容ではなかったけれど、会衆の皆さんの静かな気遣いが温かく、いい教会だなぁ、とありがたく思った。

が、週報に載っていた「先週の会計報告」にドン引き。

献金額の平均、ひとり500円。

子どもかよ。

主日礼拝出席者の献金総額が、うちの教会の有職者2人分を合わせたくらいの額でした。
これが例えば会衆10人だったら分からなくもないの。
月1回でまとめて捧げる人もいるし、たまたま全員の状況が良くないこともあり得るから。
でも、100人以上いる出席者の大半の週の収入が5千円以下なんだとは言わせん。

いい教会だけれども、会衆の多くにからし種ほどの信仰もないということです。
せっかく日曜朝に正装までして礼拝に出ているのに、rightに捧げない。
そういう「信仰生活」は退屈ではないですか。
牧師が味わっている歯痒さを思う。

ある婦人雑誌で家計簿の公開を募集したことがあります。その一つに応募したのは、あるクリスチャン主婦でした。彼女は実に模範的な家計簿を公開してくれました。ただ、献金の項を見た時、思わず顔が赤らみました。少ない。実に少ない。それは一回のおやつ程度のものでした。僅少献金を公開する神経にただ驚嘆しました。この程度にしか献金を考えぬインテリ女性のわきまえぶりに、ただあきれました。豊かでもの知りのタイプにこの種のひとが多いのです。そして貧しくぶきっちょな者が、気のきいたことをひとつも口にせず、黙々と教会をささえていく。教会とはまさに愚直な者が、まっ正直にささえているところです。この世の知者はすべてを知りつつ見て見ぬふりをしています。(中略)子どもたちに塾に通わせる費用。音楽会。お茶、お花、ピアノのレッスン、それにくらべてなぜ献金が低いのか。そのわけを知らせてほしいのです。
辻宣道著『教会生活の処方箋』

ところで、教会ではなくガワの話なのだが、そこの礼拝堂は素晴らしかった。
華美な装飾は一切なく、牧師が立つ背景は真っ白な壁だけ。
だが、天井の梁によく見れば気づく程度の同系色の十字架形の金具が留めつけてある。
まさに、「貧しくぶきっちょな者が、気のきいたことをひとつも口にせず、黙々と教会をささえて」いた。「愚直な者が、まっ正直にささえて」いた。
基督こそが屋台骨、十字架こそが礎石、という設計者の信仰が厳然と伝わってきた。
それほど美しい建築なだけに、当然撮影等の依頼が結構あるらしいのだが、礼拝以外の利用はすべて断っていると聞き、供物売りの屋台をちゃぶ台返ししたイエスの姿を思った。

それなのにもったいないよ。日本の教会、もっと一緒にがんばろうよ〜。

教会生活の処方箋

教会生活の処方箋

Amazon