英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

神に捧げるいけにえ、次のステップへ(シリーズ献金 その11)

またタックスシーズンがやって来た。
昨年などは、客先からバラバラ届く納税書類ではなく、教会が出してくれた献金の証明書で私の年収総額が分かった。それを×10するだけだから。

今年はそれもアテにならない。
なぜなら、10分の1きっかり捧げるのを止めたから。「きっかり」時代、私の献金額は中途半端だった。
昨年ふと「こんな半端な、いかにもいただいた額を正確に計算しました、みたいな額、みみっちくてイヤ…」と思ったのである。
昔、1円単位の割り勘を要求してきた人(ちゃんと働いてる人でしたよ…)、「自分は絶対損しないわ!」とばかりに細かい請求をしてかえって大損していた人などの顔が思い浮かんだ。
10分の1を超えても、自分が美しい数字だと思える、まーるい額を捧げるようになったのだ。

手元にある額でなく、必要とする額の10分の1をボールドに捧げて挑戦した人の証を聞いたことがある(もちろん神様は応えてくださった)。
私にはそういう信仰はなかったものの、結果としてやっぱり、神は捧げた以上にあふれるばかりに注いでくださった。
今月も取引先からの通常の入金以外に、既に1,500ドルの臨時収入があった。おやまだ1月だ、と驚いた。

それはそうと、什一献金はもう私の訓練にはならないな、と思う年初である。
捧げることが平気になってしまったからだ。
捧げ物が捧げ物なのは犠牲を伴うから。
愛という行いには犠牲が伴う。お金だけじゃなく、時間や能力も。
でも今の私は、献金に関しては捧げる時に痛みがなくて、喜びしかない。こりゃどうしたものか…

もっとレベルを落として言うと、クレジットカードがあるために最悪現金がなくなっても生活には困らず、信仰を発動させる余地がないという状況もあったりする。
本当は「食うか献金か」みたいな葛藤に、真の礼拝があると思うのだけど…
『大草原の小さな家』の「父ちゃん」も、ボロボロの靴を買い替えるはずだったお金を教会の鐘のために寄付したのだ。

もっともっとピュアな礼拝ができるよう求めていこう。
人様にごちそうしたり、足や宿を提供したりできる自由に心から感謝しよう。

ところで、献金という行為に反感を覚える人にぜひ読んでいただきたい文章がリック・ウォレンのメルマガにあった。
これが全て。ぜひ大胆に捧げるトライを。(太字は引用者)

God doesn’t owe you an explanation or reason for everything he asks you to do. Understanding can wait, but obedience can’t. Instant obedience will teach you more about God than a lifetime of Bible discussions. In fact, you will never understand some commands until you obey them first. Obedience unlocks understanding.

今年こそ、Jesus兄貴と兄弟になって、たーくさんの祝福を受けましょう!

原書はKindle版がおすすめ。