私は「英語が外国語でよかった!」と思っている。
私の母語が英語だったら、たぶん、言語を学ぶ面白さには目覚めなかっただろうから。
ネイティブマルチリンガルの頭の動きはどうなっているのか体験したいなとは思うけど、
残念ながらそれは後からは叶わないので、ひたすら勉強である。
嬉しいことに、そこに大きな喜びがある。
今、自分がどのくらい英語ができるのか何も指標はない。
10年前の英検準1級、5年前のTOEIC870点、それから留学を一瞬考えたときのTOEFLiPT81点、これも5年前。
ただ、ウェブというメディアがあるおかげで、しょぼくとも翻訳の仕事をいただけるようになった。
本業も英語であるが、まあ問題ない。
洋書に和書と同じかそれ以上に親しみ、帰宅時にラジオでテリー・グロスのフレッシュエアを聴くのを楽しみにしている。
英語に興味をもったおかげで、聖書に導かれたともいえ、
もう英語は一生の友人であり、毎日もっともっと知り尽くしたい宝である。
感謝祭なので、わたしと英語のアフェア〜について書きたい。
私は1年だけだがアメリカの幼稚園に通ったので、アクティビティを通して、
なぜか読むことだけはできるようになった。
帰国後、とくに英語にはふれず、中学校での英語の成績は中の下。
中学1年のはじめのころの英語というのはかなり簡単(だったはず)なので、
ちょっと入学前から準備していた子など、試験で100点をバンバンとっていた。
が、私はbe動詞と動詞の違いが分からなくてベソをかいていた。
NHKラジオの「基礎英語」「上級基礎英語」「英会話」は、
年に一度、クリスマス以外には何も買ってくれないシブチンの親がテキストを毎月与えてくれたので、
それが嬉しくてなんとか聴き続けた。
大杉正明先生の「英会話」が面白かったのはもちろんのこと、
アメリカンポップスの歌詞を読み解いてくれた「上級基礎英語」にも感謝している。
その後、試験前には教科書を丸暗記するようになり、
そうすると、とりあえず試験はできる。
またリスニングは、父が勤務先の研修で「ヒアリングマラソン」を始め、
母がそのマークシートテストを下請けでやっているそばで、
彼らの聞き取れない言葉を自分は分かるということに気づき、ちょっと面白いな、と思い始めた。
今でも覚えているのは、母が"Why"を"I"、"tour"を"2 hour"だと思い込んで苦戦していたことである。
あとは英検4級と3級は、ほぼ強制的に受験させられた。(会場は自分の中学校)
できる実感もないのに受かってしまう、実に意味のない試験であった。
ともあれ、中学時代は、試験ができるだけで、大した進歩はないままに終わった。
ただ、当時なぜか片田舎で視聴できたMTVとCNNに、新たに深く「アメリカ」を印象づけられた。
次回、高校でのブレイクスルー。