英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Blackbird を家で見た。スーザン・サランドン『ブラックバード 家族が家族であるうちに』

作品の評価が低いのは知っていたのだが、劇映画が見たくなって。
最近日本でも問題になった安楽死の描き方にも興味があった。

駄作らしい、という先入観ありありで見たわけだけど、愛人関係発覚ツイストまではよかった。
部屋にゾウがましましている冒頭から、ウィンスレットの旦那の「いいひと」をうまく回して場が温まっていく過程が親密に描かれていた。
受胎現場への散歩を通しての家族の関係性解きほぐしや、演出の腕が問われるとよく言われるパーリーシーンも面白かった。ドレス姿で登場したサランドンにちょっと泣いちゃった。

ただ、最後20分はなかなかまずくて、同じくサランドンが死にゆく女性を演じた『グッドナイト・ムーン』の雑な処理を思い出してしまった。ケイト・ウィンスレットも下手に見えた...。

とりあえず、ALSと安楽死自体はこの映画の中では小道具のひとつに過ぎないので、そのへんの深イイ話はない。あくまで家族の再邂逅の話。

調味料入れってマグカップと同じくらい「ちょっとしたプレゼント」にありがちなんだけど、何個もいらないよね...。一度ウェディングの引き出物でハトのカップルを象ったのをもらったものの割れていたことがある。もちろん、縁起が悪いので誰にも言わなかった。

ところで、数年前にALS研究への寄付を目的にしたアイスバケツチャレンジなるものが一瞬はやったのを覚えているだろうか。
自称インフルエンサーにまで広がって微妙な点もあったが、あれでできた資金のおかげで治療法の研究は実際に進歩しているのです。論文も発表されているので要注目。

ALS患者殺人と、維新のドクターキリコ問題については宮台真司氏の問題提起がとても真摯だと思った。
「本人の意思」は本当にはかれるのか。「ああいう状態になったら私だったら死ぬ」と言い放つことの暴力性。
少なくとも、同調圧力が強烈な日本で安楽死をサクサク合法化しては絶対にいけない、ましてや維新や自民党のオモチャにしてはいけない。

院内での尊厳死を選んだドイツの少女のアカウント『わたしの天国でまた会いましょうね 』。読んだのはもう20年近く前だが、最後のラブレターの記憶は鮮明。

トレーラー。

映画 Softie を家で見た。Sam Soko ケニアの『ソフティ』

先週末、ちょうどスマホをいじっているときに RBG 逝去の速報が入った。
随分前から準備されていたであろうNYTの追悼記事を読みながら、私はあることを止める決心をした。毎日1、2時間費やしていた雑事。スッパリ止めて3日目だけれど、頭はスッキリしている感じがするし、時間も増えて快適である。
I owe her more than ever.
というか、そうでもしなければ耐えられないんですけど泣

本作は、ケニアのシステムの腐敗に立ち向かう人たちを描く。
警察の暴力に抵抗する運動のスローガンは、Lives matterどころか、Stop killing Us である。

簡単に説明されたケニアの歴史を見て、
イギリス、またお前かよ怒
と震える。

民主主義も選挙もトライブ差別も、そしてナイロビのトライブたちのOSになってしまっている英語もキリスト教も、すべてイギリスから無理くりに導入されたものである。
Bonifaceの「国を守らなければ」というアイデアさえも輸入品なのだ。
たぶん、なければないままのほうがずっと幸せだった。
初期には伝道師が入ったんだろうけど、やっぱりイエスへの信仰が彼らにインストールされたことに必ずしも正当性を認められないよ…。
この地に入り込んだ聖書の「理性」は暴力にすら感じる。

立候補した夫のもとに次々と脅迫が届き、危険を感じた夫人と子どもたちは知人を頼ってアメリカに避難する。
ニュージャージーの雪と戯れ、すぐに学校にも通い始める子どもたち。

「西洋」の副産物であるアメリカが、「西洋」が世界に撒き散らした矛盾を回収して飲み込んでいるというのは途方もない冗談だが、それでもどうかアメリカは誰でも亡命できる場所であり続けてほしい、多様な人が共存する社会の理想のために闘い続ける場所であってほしいと切に思った。

初めての米国旅行を控え、アメリカが「人工国家」であるゆえの特殊性を述べた司馬遼太郎に、アメリカとは無縁のひとがつぶやいたということば。

「もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息ぐるしいのではないでしょうか」
(中略)これが、ただの日本人でなく、在日韓国人のことばだけに心にしみる思いがした。
司馬遼太郎『アメリカ素描』

命をかけて闘う人とその銃後の家族の対立も永遠のテーマだな…。
夫人のTシャツに書かれていたメッセージはこれ。演出か、偶然か…。

Sorry I’m late. I didn’t want to come.

彼が、I give my kids the best. と言うのを聞いて、それをしごく当然だと思いつつ、日本の近況を思い返さずにはいられなかった。
日本の政治家と高齢の投票者はさ、なぜ直近のことしか考えていないのだろう?
「自分の生きている間さえ良ければいいからだ」というのがよく聞かれる説明なのだが、彼らにはかわいい子どもも孫もいるでしょ? 心配じゃないわけ?
今後、経済社会がさらに衰退するのは分かってるけど、自分んちの子孫だけは大丈夫、とでも思っているのだろうか。そう確信できる根拠はどこに?

最後に、アフリカの大地でのBBQすごすぎた。
あえてBBQセットを使う必要もないやつ。

それから、プロテストで国会の建物に血を塗る場面があったが、クリスチャン的にはあれは国会への親切なのでは。

トレーラー。

映画 Sibyl (2019) を家で見た。ジュスティーヌ・トリエ『愛欲のセラピー』

英語字幕で鑑賞。
今となっては懐かしい回転寿司から始まるアナザー二流いかにもフランス映画。

言葉も中毒になるけど、良い薬だし、安全です。

本当にそうだろうか? と語りかける。

先日、ブラックパンサーが若くしてひっそりと逝ってしまい、アンジェリーノたちは悲嘆に暮れた。
何より、(彼が黙っていたからとはいえ)病などの苦しみと闘っていることなど思いも至らず、ただ彼のヒーローぶりを称えていた自分たちの無邪気さに対して。

本作の主人公は、表向きは完璧だけどちょー苦しそうな人列伝に連なる。
が、シビルの場合は、まずためしに「生活」をしてみたら? としか思えなかった。
彼女のしんどさは、自分がかつて一緒に暮らすと決めたパートナーと分担して子どもの世話をし、洗濯をし、掃除をし、トイレットペーパーが切れないように買い物に行くだけで大方解消できるように思う。

心理療法士としてライターとして働き、家事を外注しているのはいいのだが、彼女の場合、それではエネルギー配分がうまくいかず、「人間ヒマにしてるとろくなことしない」の典型みたいになっているので。
余計なお世話だが。

職業作家でもOpenOffice使うんだなと思った。

愛欲のセラピー(字幕版)

愛欲のセラピー(字幕版)

  • ヴィルジニー・エフィラ
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トレーラー。

映画 金都 / My Prince Edward (2019) を家で見た。ノリス・ウォン『私のプリンス・エドワード』

英語字幕で鑑賞。#BoycottMulan

『リンガフランカ Lingua Franca』に続き、偽装結婚がモチーフ。
香港の女性と香港在留資格がほしいメインランドの男性の組み合わせ。
しかも、男は中国よりも自由度の高い香港を足がかりにしてロサンゼルスに行きたいんだぜ、というややこしさ。

中国の人であっても香港のIDを得るのが米国永住権並みにハードルが高いことが分かって興味深い。
また、折々に聞かれる「大陸」と香港の独断比較も、中国大陸の中で外国目線が存在すること自体が面白い。
マンダリンと広東語の間でのlost in translationも。

この先、彼が夢みた香港IDは紙くずになってしまうのだろうか。

レスリー・チャンあたりに憧れて次々とキザな映像に浸っていたころを思い返すと、この不自由な庶民たちの下世話なストーリーには隔世の感がある。
フェイ・ウォンなんてフリーダムそのものだったのに。
友人の一人は、ウォン・カーウァイ命が高じて広東語を流暢に喋れるようになった。今で言うなら韓国語だろうか。
(ちなみに、本作の主人公の部屋にはジム・ジャームッシュのポスターが貼ってあった)

米国に行ったことがない人は「自由とは何かを知らない」という偽装婚クライアントの彼。
条文に記された米国的「自由」、香港的「自由」だけでなく、人間はどこにいても良心を行使する自由を奪われないように日々たたかわなければならないのだが。

エドワードとの交際期間が7年8か月って、ぴったり第二次安倍政権やん。ながっ。偶然とはいえとんだ符牒である。

ひっくり返ったミドリガメとブラの肩紐がのぞいてしまうカットソーのプロップは陳腐すぎた。
しゃがみながら「(大陸人ぽく)しゃがめるようになったよ」とアピールするセリフもイモい。そこは黙ってないと。

トレーラー。

映画 Starting at Zero を家で見た。早期教育推進映像『スターティング・アット・ゼロ』

これは...「ドキュメンタリー映画」として$12で売っていい作品じゃないのでは。
冒頭に「特定の政党や自治体を推すものではない」と但し書きがでてくるけど、ひたすら先生と為政者がポリシーを語るだけでいっこも面白くなく、圧の強い長尺のアラバマプロモーション映像にしか見えなかった。
せめて、個人の体験を追うところ、個人が個人の言葉で語るところがないとねえ。
「高度な早期教育」がどういうものなのかももっと具体的に知りたかったけどねえ。

ともあれ、Pre-Kであれなんであれ、すべての子どもにしっかり教育をプレゼントすることに社会がお金を出すことには常に120%賛成。
今は、まずは飢えさせない、安全なシェルターをととのえる、とか教育以前の生存の問題もあるのだが、そっちが先、じゃなくて、社会としてここで提唱されている高度な幼児教育も含めて全部を子に保障したいものだ。

「プロモーション映像」なんで、ワシントンDCや各地のキャンパスの映像はとてもきれいですよ...。
子どもが遊んでいる映像はときどきストックフォトっぽいですよ...。

公式サイト
https://startingatzerofilm.com/