英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Softie を家で見た。Sam Soko ケニアの『ソフティ』

先週末、ちょうどスマホをいじっているときに RBG 逝去の速報が入った。
随分前から準備されていたであろうNYTの追悼記事を読みながら、私はあることを止める決心をした。毎日1、2時間費やしていた雑事。スッパリ止めて3日目だけれど、頭はスッキリしている感じがするし、時間も増えて快適である。
I owe her more than ever.
というか、そうでもしなければ耐えられないんですけど泣

本作は、ケニアのシステムの腐敗に立ち向かう人たちを描く。
警察の暴力に抵抗する運動のスローガンは、Lives matterどころか、Stop killing Us である。

簡単に説明されたケニアの歴史を見て、
イギリス、またお前かよ怒
と震える。

民主主義も選挙もトライブ差別も、そしてナイロビのトライブたちのOSになってしまっている英語もキリスト教も、すべてイギリスから無理くりに導入されたものである。
Bonifaceの「国を守らなければ」というアイデアさえも輸入品なのだ。
たぶん、なければないままのほうがずっと幸せだった。
初期には伝道師が入ったんだろうけど、やっぱりイエスへの信仰が彼らにインストールされたことに必ずしも正当性を認められないよ…。
この地に入り込んだ聖書の「理性」は暴力にすら感じる。

立候補した夫のもとに次々と脅迫が届き、危険を感じた夫人と子どもたちは知人を頼ってアメリカに避難する。
ニュージャージーの雪と戯れ、すぐに学校にも通い始める子どもたち。

「西洋」の副産物であるアメリカが、「西洋」が世界に撒き散らした矛盾を回収して飲み込んでいるというのは途方もない冗談だが、それでもどうかアメリカは誰でも亡命できる場所であり続けてほしい、多様な人が共存する社会の理想のために闘い続ける場所であってほしいと切に思った。

初めての米国旅行を控え、アメリカが「人工国家」であるゆえの特殊性を述べた司馬遼太郎に、アメリカとは無縁のひとがつぶやいたということば。

「もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息ぐるしいのではないでしょうか」
(中略)これが、ただの日本人でなく、在日韓国人のことばだけに心にしみる思いがした。
司馬遼太郎『アメリカ素描』

命をかけて闘う人とその銃後の家族の対立も永遠のテーマだな…。
夫人のTシャツに書かれていたメッセージはこれ。演出か、偶然か…。

Sorry I’m late. I didn’t want to come.

彼が、I give my kids the best. と言うのを聞いて、それをしごく当然だと思いつつ、日本の近況を思い返さずにはいられなかった。
日本の政治家と高齢の投票者はさ、なぜ直近のことしか考えていないのだろう?
「自分の生きている間さえ良ければいいからだ」というのがよく聞かれる説明なのだが、彼らにはかわいい子どもも孫もいるでしょ? 心配じゃないわけ?
今後、経済社会がさらに衰退するのは分かってるけど、自分んちの子孫だけは大丈夫、とでも思っているのだろうか。そう確信できる根拠はどこに?

最後に、アフリカの大地でのBBQすごすぎた。
あえてBBQセットを使う必要もないやつ。

それから、プロテストで国会の建物に血を塗る場面があったが、クリスチャン的にはあれは国会への親切なのでは。

トレーラー。