英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

A Life to Serve 天皇皇后両陛下

先週、YouTubeのオススメをきっかけに天皇皇后両陛下や愛子さまの動画を次々と見ていたらサーッと涙が出てきた。

それも、弱い人、苦しむ人に心を寄せるシーンや、ほほえましいハプニングのカットよりも、恒例のセレモニーにお出ましになり、型どおりのスピーチをし、背筋をピンとのばして微動だにしないプレゼンスにとりわけ涙腺を刺激されるのである。

コメント欄にも同じように「なぜか涙が...」「見てるだけで涙が...」と言っている人が結構いる。

これは一体何なのか、言語化キボンヌ、と思っていたら、今朝の礼拝のテーマが"A life to serve" 捧げた人生、で「あ、それだ」と思った。

あの方々は、生まれた時から否応もなく、あるいは自分で決意して、という違いはあるものの、極限まで我を削り、今も現在進行形で我を抑える努力をされ続けて自らを捧げておられるからだ。その命がけの姿に私の魂はどうしても反応するのだ。

他のハイプロファイルな人たちと並ぶと、覚悟の大きさが桁外れに違うのがよくわかる。

五輪のとき、陛下の近くに座っていたスガや小池百合子はかなりだらしなく見えた。

英国王と比べてみなよ。「boring」と口に出すわ、欠伸をかみ殺すわ、側近にイラっとした顔を見せるわ、そもそも不倫して妻を傷つけ続けたわ、こちらも人間なのだからそういう人物だということについて非難はできないけど、「このひと、あなたより偉い人の設定だから特別扱いでヨロシク」と言われても飲み込めない。

神に、つまり人にServeすることを志す人間のひとりとして、目に見える強烈なお手本をいただいていることは有難い。

生まれながらにして人権を制限され、高貴扱いされる人の存在は、民主主義にとっても、当人にとっても矛盾があって不幸なので、私は、君主制、ロイヤルファミリーの存在には反対だ。
が、すでに犠牲を強いてきた今上天皇皇后両陛下の人生は国が保証してしかるべきだと思う。
幸い(?)日本では、今までの継承のしくみでは存続が難しくなっているので、ゲームオーバーになったときが天皇制をヤンぺする良いタイミングだろう。

何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。(コロサイ3:23)

この本、オックスフォードの殿下の行動範囲の見取り図が挟んである学習院教養新書版を持っていて、「何かあったら売りな」と兄弟に譲ったのだが、さすがに新装版が出たのですね。しかも電書でも読めるというのは、小さなヒゲ付きの活字で読んだ私には隔世の感がある。
ちなみに、寮のカフェテリアで芽キャベツを山盛りにする殿下ナイス。