英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

アムステルダムの映画館で『東京物語』を見た

最近ではなく、パンデミックの足音がひたひたと近づいていたクリスマスのころの話。

アンネ・フランク・ハウスにほど近いプランセンフラハト沿いにその映画館De Uitkijkはあった。
間口の狭い正面は小さなカフェになっていて、窓口らしいものはない。カフェのレジでチケットを買って初めてカウンター裏の劇場入り口を案内されるのである。シークレットギグっぽくて期待が高まる。

ついでに言うと、もう1軒行ったアムスの別の映画館は個室つきのレストラン併設で、そこで誕生パーティか何かをしていた子供たちが上映中にウェーイと乱入してくるというハプニングがあった。のんびりしたものである。

De Uitkijkに戻る。
そこではホリデーシーズンに日替わりで古い映画をやっていた。
いよいよ『東京物語』を見るときがきたのだ。
念のため、レジのお姉さんにオリジナル音声での上映かと尋ねる。「うちはオリジナルしかやらないよ」とお姉さん。
この国で英語の映画が上映されるときと同様、オランダ語字幕上映だった。
館内は7割くらいの入り。

『東京物語』はむかーし小劇場の裏方をしていたときに見るべしと言われていたし、日本国外の批評紙の映画ランキングで1位になってたりするし、ずっと気になっていたのだがなかなか縁がなかった。
それは、静かな白黒長編作品を家でじっと見るのはつらい、と思い込んでいたからである。

見てみたら、それはまさに「思い込み」で、この映画はむしろドタバタ喜劇であった。
ひたすら明朗。
カット割りが速いし話がどんどん進む。察してくれ、みたいな隙が一切ない。
温泉でも行ってきたら? → 次の瞬間には温泉の老夫婦の後ろ姿。
笠智衆のドリフ的酔っ払いシーンは地元の人たちにも大いにウケていた。

見るのに体力を要求する映画だろうと思っていたのは、『晩春』で父娘が旅先で就寝するシーンで襖だか床だかがぼんやり映されるカットを見たヨーロッパ人が「父娘がそういう関係になった」とトンデモ解釈した、という都市伝説を聞いてたがゆえのバイアスだった。

後で、この時代はフィルムが貴重だったので長めに何度も撮る選択肢がなく、いろいろな意味でてきぱきせざるを得なかった、という話を聞いて膝を打った。
今は長編の撮影といえば、編集のための材料づくり、みたいなとこがあるので。

原節子の言葉の印象に残ることといったら。
1度見ただけで、2年たった今も、「私ずるいんです」はもちろんのこと、「お父さんたち、いらしたの」とお隣さんにお酒を借りに行くシーンがまざまざと。

杉村春子のふてぶてしさもいいわ。
昨日の選挙で日本の選択的夫婦別姓の実現がはるか遠いことを思い知ったが、この時代でもすでに「家族」は崩壊してるじゃんね。幸せな人が増えない家父長的な社会制度反対〜。

さて、映画の後に会ったオランダ人ともひとしきり日本映画の話で盛り上がった。
映画好きとしての贔屓目もあるだろうが、彼は「ヨーロッパでは是枝は別格」とものすごく大きな主語で言い張る。
彼自身も『万引き家族』終演後、「今見たものは一体なんだったのか」と呆然として立ち上がれなかったのだという。

不意にクール・ジャパン政策に消えていった何億もの無駄金を心から惜しく思ったクリスマスだった。

この数日後、まだ世界がコロナのコの字も知らないとき、中央駅からスキポール空港に向かう列車で激しく咳をする若者がいたのも忘れられない。
日本国外では珍しく、素手で口を覆っているのが気になって...。(少なくとも米国で公教育を受けた人は腕で受ける。手は感染が広がりやすいため)
そして2か月後、海を挟んだアメリカ大陸では都市封鎖が始まったのだった。