祈りにあけくれた週末だった。
シリアの兄弟姉妹のことに加え、それとは全く関係ない内輪の話だが、たまたま、長く教会にいるA君がJesusをあざ笑ってドヤ顔するような行動をとったことが分かった。
そんな彼に全く怒らず、彼が帰ってきやすいように道をあけておかねば、という牧師に驚嘆しつつ、神が人間の裏切りにどれだけ苦しみ哀しんできたか、そして幾度もゆるし続けてきたか、そのすさまじい愛を思った。
「私なんかが、人をさばこうとする気持ちを取り除いてください」と祈り続けた。
後藤兄弟の「怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域」というツイートが回ってきた。
今朝、アラームが鳴った瞬間にふと「すべては守りの中にあり」という言葉が浮かんだ。
そして、「ああ、A君はさびしかったんだな」と知った。
自分の思い通りにならないゆえの身勝手なさびしさでなく、ラディカルなさびしさ。
えらそうだが、彼のために私も祈れる、と思った。
God's in his heaven ―
All's right with the world.
神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。
(否、やはりこの詩と「風立ちぬ」は日本語訳のほうがずっと響くな。)