英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

ヨセフ "ジョー" バイデンとクリーブランド監禁事件サバイバーズ

ともあれ安堵。
2016年の投票日の夜、恐ろしくて聖書に慰めを求めたら「偽りの舌は滅びを招く」の箇所が開いた。
きっと神に何らかのお考えがあるのだろうと思うしかなかった。実際、この4年間はあまりに大きな犠牲を払い、たくさんの命まで失ってしまったけれど、アメリカという国に必要な荒野のプロセスだったのだと今は思う。

そして、カリフォルニアンとしてはハリスを送り出せるのが喜ばしい。
ドクター・バイデンがファーストレディになるのも嬉しい。公教育に尽くしてくれるはず。

バイデン自身は...たぶん、これからいろいろな埃が出てくると思う。私も何度か眉をひそめた。
でも、次のエピソードを読んだ私にとっては、少なくともlesser evilだ。そもそも、アレ以外ならネコでもスノコでもいいと思ったのだし。
クリーブランド監禁事件のサバイバーの女性たちがホワイトハウスに招かれたときのことを書いた手記から。

私たちは副大統領との面会のため、小さな客間に通された。化粧室に立って戻ってくると、ギャーーー! 目の前にオバマ大統領が! ジーナとベスに話しかけている! 大統領は私の名前を呼び、手を差し出した。
「こんにちは、アマンダ。副大統領に会いに来ると聞いて、私もぜひ挨拶したかったんです。心からあなたを誇りに思うし、会えて光栄です」
そして大統領は言った。「写真を撮る時間はありますか?」
忙しいのは彼のほうなのだから変な質問だけど、敬意を持って接してくれているのが分かった。
副大統領も一緒に並んで写真を撮ると、大統領は「ウクライナの用事を片づけないといけないから」と、出て行った。もちろん冗談めかして言ったのだけど、そういえばここはホワイトハウスなのだ。


副大統領は私たちに椅子をすすめると、自分も前かがみに腰かけて、世界に自分たちだけしかいないかのようにジーナと私をじっと強く見つめた。「あなたたちがどれだけの苦しみに耐えてきたのか、想像もできませんよ」と副大統領は切り出した。「絶対に誰にも分からないと思う」。そして彼は1972年の悲惨な事故で妻と娘を失ったことを語り始めた。その目に涙があふれてくるのを見て、私たちも一緒に泣いてしまった。
「私はこの出来事に向き合う勇気を持てなかった。だから逃げた。考えないようにしたんですよ。立ち向かうだけの力は私にはなかったのです」。副大統領はこちらに体を傾け、まっすぐ私の目を見た。「あなたのようにはできなかった」。そしてジーナに向き直った。「あなたのようにも」


副大統領は傷を乗り越え、たくさんの偉業を成し遂げてきたのだ。それがどれだけすごいことか。彼にできるなら、私にもきっとできる。事故が起きたとき、副大統領は29歳だったという。私は28歳だ。これから新しい人生が待っている。それに、彼の言うとおり、今までの地獄を思えば、どんなことにも立ち向かえる。そして、副大統領が臆せず人前で涙を流しているのだから、私だって泣いていいのだ。


45分間ほど話したところで、副大統領は「もう行かなければならないけれど、お昼をご馳走したい」と言ってくれた。補佐の人に案内されたホワイトハウス食堂(mess)は、全然乱雑(mess)ではなかった。地下の素敵なダイニングルームだ。昼食時だったので込んでいて、隣のテーブルでは議員たちが食事をしていた。私は写真を撮りまくった。もうびっくりすることだらけ、大統領の紋章が型押しされたバターまで! 
部屋は心地よく、私たちは冗談を言っては笑い、クリスタルのグラスで炭酸水を飲んだり、白い布のナプキンを使ってクラブハウスサンドを食べたりした。


Amanda Berry他著 "Hope: A Memoir of Survival in Cleveland" より拙訳

ちなみにこの事件の犯人はオバマが大統領になるのを嫌がり、いつも口汚く罵っていたという。

バイデンは、その名Josephのとおり、聖書の人物の中でも特別に神に愛されたヨセフのような祝福を受けてきたのだろう。
神からのヒイキを無邪気にしゃべって(天然)ねたみを買い、長年の労苦を経て王にのぼりつめ、110歳まで生きたヨセフ。
この先4年間、これまで以上に神のご加護がありますように。

今晩の当選後初の演説でバイデンは伝道者の書3章を引用した。

天の下では、何ごとにも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。

そして、今、アメリカをいやす時だ、と続け、faithをkeepするだけではなく、spreadしようじゃないか!と締めくくった。

そういえば、45代の就任演説に引用されたのは詩編133章の「兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」だった。中東への犬笛だという説もあったが、文字どおりとれば皮肉の極みだった。随分と狭いくくりの兄弟のまま終わったものである。いや、まだ2か月あるぞ。私は彼のためにもずっと祈っている。