英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Thelma (2024) を見た。ジューン・スキッブ is『セルマ』

スキッブとラウンドトゥリー(本作が遺作に。最後にbreak a legと言われ怪訝な顔をして去っていくシーンは素晴らしい幕引きだったのでは。あなたが転んでももう助けられない、と言っていたのもじんわりくる)がチャーミングで楽しい時間を過ごしたのだが、AIのドラマツールを使うとこういう脚本になるんじゃないかなぁ...と思っていた。
伏線の配置とその回収がととのいすぎているというか。

たとえば小説や随筆を読んでいると、古い出版物であるほど表記のゆれが激しい作品に出会う。「食べる」と「たべる」が一段落の中に混在してるとか。それは意図的である場合もあるし、単に作家の意識の流れでそうなっただけのこともあるだろう。今は全文検索ができるようになってそのあたりは整えようと思えば一括置換できてしまう。校正の責任主体(人間であれ機械であれ)は仕事として一応「ここ表記違いますよ」と指摘せざるを得ない。でも、アートの表現において、それ必要?ということである。

念のため、本作では執筆の補助にAIツールが使われている、と言っているわけではないし、もし作家が創作にAIを活かす選択をしたとしても何も問題ないと思う。

それからオレオレですよね。
しかも、事故って相手が妊婦だった...って、オレオレ史の古典ともいえる筋書き...。
私は10年近く前に米国ではオレオレは成立し得ない、と書いたのだが、ランダムではなく狙い打ちなら確かに成立し得る。むしろSNSで家族の情報を集めてから...なんてめちゃくちゃ打率が高まりそうだ。日本との違いは、ATMから振り込みをする習慣がほぼないことくらい?

あえてオレオレと言っているのは、振り込め詐欺の中でも子息を名乗る「オレオレ」は特定の家族文化に依存する特殊な事例だと思うから。「振り込め詐欺」なら米国でもIRSやハッカーを語るやつがよくかかってくるので。日本では注意喚起を大々的に行い、銀行ではATMで短時間に大金を動かせないようになり、銀行員さんやコンビニの店員さんも気をつけてくれるようになったというのに未だ年々被害額が増えるばかりだという。それは文化のあり方のあらわれとしてすごく興味深いし、あらゆる事例を聞きたくなる。そしてもちろん、加害者はその豊かなクリエイティビティとパフォーマンス力を他に活かし、卑怯な真似をやめてほしいと思います。

最後にセルマがダニーにWherever I go, I won't worry about you, 'cause you gonna be okayと(いうようなことを)言ってくれたのはよかった。
教会では、心配するのは罪、と教えられる。良き神を信頼していないということだから。
でも先日ある兄弟が、牧師から「君のことを心配している」と言われたことを挙げて、「rightな心配もあるんだと思う」と語っていて、それはworryやanxietyやfearではなくcareではないのか?と考えていたところだった。
やっぱり、信頼している人から「あなたのことは心配してないよ」って言われるほうがずっといいよ。心強いもん。

早朝回6.5ドルで鑑賞。Inside Out 2だろうか、館内はサマースクールらしき子どもたちでいっぱいだった。数少ない引率の大人たちがめっちゃ大変そうだった。いやほんと、最近まで幼稚園児だったような子100人を連れ出し、解散場所に帰り着くまでひとりもお漏らしさせなかった先生方すごかったな...。いやお漏らしした子はいたのかもしれないが、少なくともそれは他の子に分からないように処理されていたのだ。わが大阪、小学校の遠足で真夏の万博に行くなんてそりゃ無茶ってものよ。

トレーラー。