家族から国家まで選べない共同体に生まれ落ちるにとどまらず、1人では生きられないようにプログラムされた人間というものの皮肉を思う。
フランツとフランツィスカも、あのように揃って神のほうを向いて、2人だけで生きていけるならよかったのに。
神はそれを許さなかった。
神は人の集まるところに臨在すると約束されている。イエスなんか、教会がからだだと言っている(つまり、「人と交わらないキリスト者」はいない)。
人がひとりでいるのは良くない。(創世記2:18)
あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。(マタイ18:19、20)
良心を貫こうとすると、共同体に生きる人間の場合、結局連座制になってしまうのがつらいところ。
自分だけでなく家族や大事な人たちが権利を奪われたり、近い人たちから圧迫を受けたりしてしまう。
いま、この国や日本で徴兵が行われたらどうなるかな、と想像する。
周囲にいる人たちがさっさと応じるようには思えないけれど、本作の状況のように教会の兄弟姉妹含めて全員行っちゃったら、私も従ってしまうわ、きっと。
最後のエリオットの引用は良かった。
ほんとに世界はunsung heroesに負っているのだと実感するから。
死刑を宣告されたフランツは誰かの倒れた傘を元通りにした。
神でさえ、ひとつの街を滅ぼす前に、信頼する人間に相談して相当の譲歩さえしたのだから。
今この瞬間も、たぶん誰か知らない人(故人かもしれない)の祈りに支えられているのだ。
私はフランツィスカの祈りをマネしたい。
「あなたは私が愛する以上に彼を愛しています。どうか彼に勇気と知恵と力を与えてください」
ところで、生存戦略として農家は最強だなぁ。
今の人たちがどれだけ「つぶしのきくスキル」「どこでも食える職業」「需要=給与の高い人気職」とか言ったって、社会が壊れ、金銭の価値がなくなったら即食えなくなる。農家の人たちと物々交換するしかないが、彼らも毎日医療やヘアカットが必要なわけないし。
それから、ナチのシステムのアンバランスさが気になった。一応裁判をしたり、囚人にも外の空気を吸ったり、手紙書いたりする自由はあったりして、へんなところで人権配慮にコストをかけてるように見えるのよ...。
トレーラー。