大勢の子どもたちで埋まった劇場内、大喝采。
このポスターをバス停で見かけたとき、吹き抜ける新鮮な風にハッとした。
きっとみずみずしいインタープリテーションなんだろうな~と思った。
実際に作品を見て、広告が実に的確だったのが分かった。
まさにこのイメージから喚起されたとおりの内容で。
『若草物語』には何のかのと親しんできた。
小学生のときにリライト版を読んだのを皮切りに、学芸会では寸劇にして演じた。べスのピアノはオルガンで代用。
大学受験前に初めて原書を読破し、その後はノートにコリコリと翻訳をしてみたりもした。
これまでに見たアダプテーションは33年版(ジョージ・キューカー監督、キャサリン・ヘップバーン)、49年版(エリザベス・テイラー)、94年版(ウィノナ・ライダー)だが、特に感銘を受けたものはなかった。
どれもエピソードの消化に大忙しという感じで。
ガーウィグ版が上記に比べてはるかに優れている、というか好き!と思った点は数えきれないがいくつか挙げてみる。
- 技術面の進歩のおかげか、照明がしっかりローソク頼りでいい。19世紀の実情に近いのでは。これを見た後にはもう過去作品はのっぺりし過ぎて見られない。
- 姉妹が小説の設定年齢に近く見える。長女のエマ・ワトソンまできちんと若い。
- ベスが新しい。他3人と異質でありつつ、きちんと共通した面も描かれている。
- 物語の中の役割として私が好きな、ローリーのおじいさんの出番が多い。
- エイミー(『ミッドサマー』で地獄を見たフローレンス・ピュー、本作でも花冠をかぶるシーンがあってさ)がいい意味でぶさいく。原作でも好きなエピソードのひとつ、スケート靴を持ってジョーとローリーを追うシーンは必死で良かった。パリからベスの喪に服すために帰還したのに、むしろジョーが自分とローリーとの結婚を怒ってやしないかということを心配しているとこなんか、いいですね。
- 男女ともに衣装がチャーミング。
- そして何より、ジョーとローリーの邂逅から別れ、その合間の2人の仲良しチョケぶり、切ない好意のアンバランスが丁寧にすくってあること。ジョーが髪を売って戻ったシーンで、姉妹たちが悲鳴を上げる中、ローリーがニヤッとして見せたのは驚きがあった。そんなダチの2人。だからこそ、カップルになれなかったのは悲しかった...。親友と結婚するって幸せなのに!
少し力んだのか、ジョーの作家としての交渉の場面なんかが付け足してあったけど、はっきり言ってそういう「説明」はどうでもいいのだ。
本作のように原作のエピソードがいきいきと描いてあれば、それだけで姉妹たちが自由な精神を携えた自立した人間であることが伝わるもの。
常にちょっとした悪役?のマーチおばさん(メリル・ストリープ)さえ、ユニークな意志を貫いていることが分かる。
アメリカ建国期から続く古い町、コンコードを舞台にしたこの物語のAmerican valueを一番よく引き出した演出だったと思う。
ひとつエッセンスを引用すると、「オカンがいつも言っているじゃない」とベスがジョーに促した次の言葉かな。
Do it for someone else.
ついでに、40年努力を続けているというオカン(ローラ・ダーン)の知恵の元ネタは聖書ですね。
憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。(エペソ4:26)
この数日間でグググと戦争の危機が迫ったわが国。今年、何とかアメリカがこの精神を保って存続できますように。映画館に通える日常が続きますように。
【2/10/2020追記】
母の知恵"Do it for someone else" について、スポルジョン牧師の本にうまいこと言ってる箇所があったのでメモ。
ある清教徒は「クリスチャンが自分のために彫刻するならば、必ず指を傷つける」と言ったが、これは大きな真理である。
『若草物語』が今なおフレッシュなまま読み継がれているのは、オルコットがベスのために、つまり神のために一心に書いたからなのでしょう。
【10/2023追記】
2017年のBBCミニシリーズ版の脚色もかなり良い。
『リトル・マーメイド』のエリック王子が演じるローリーは一番好きかも。
音楽も大きな役割を果たす。↓
原作は、随所に古典の引用が出てくるのを除けば、比較的平易な文章だと思います。
私の気に入ったシーンの解説。最高。
タダで見せてもらって申し訳ない充実のバージョン比較コンテンツ。
トレーラー。どの顔も全然似てないことだけは突っ込んじゃダメよね。
特に慌ただしい感じがした版。エイミーだけはキルスティン・ダンストとサマンサ・マシスの2人が演じ分け。
エイミー演じるエリザベス・テイラーの大袈裟さにイライラする版。