英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Yes, God, Yes を家で見た。ナタリア・ダイアー『イェス、ゴッド、イェス』

今、教会については、感染者の増加に伴って室内の集会が禁止になるというロックダウン中より厳しい状況にある。
それでも、近隣のいくつかの教会は顧問弁護士の言質を取った上、州のオーダーが憲法違反であることは明らかだとして、責任の所在を明確にして(出席したことで何かあっても自分の責任です、とオンラインで署名)集会を開いている。ただ、不安な人、感染した人もいるので、オンライン礼拝も引き続き用意されているようだ。
で、そのうち2つの教会が州知事を提訴した。見事にコンバージョン・セラピー禁止に反対する声明を出していた教会である。

…そんな面倒なことしなくても、と思う。
一時的に集会ができなくても、助けが必要な人に手を差し伸べることに何の問題もないのだし、誰かと祈りたければ小さく集まるなり、電話をするなりでいいじゃん。
うちの教会は素直に青空礼拝に切り替え、中継も続けている。とりあえず、その合理的な姿勢は私には合っている。神は理性の権化だから。

この映画は、ある意味、聖書の言う集会に固執する教会と似たところを持つカトリック業界が舞台。
編集も音楽もパフォーマンスも拙くて見づらいが、興味のあるトピックなので見られた。

カトリックにもいろいろ派があるのだろうか、やっぱりここに描かれているようなシステムはダメだと思う。聖書的ではない。
人間の中にも一段清い人がいる、という設定ゆえに偽善が起こりやすくなる。
むしろ罪の意識を積み上げ、倍加させる。
イエスは何より人間の罪責感を取り除きにきたのにね。逆走してどうすんのよ。

下手するとコンバージョン・セラピーと同様に人が死ぬと思う。
罪の意識、ひいては悪い霊が蔓延して。
この映画の中でも一人、フラグが立っていた。
あの手の危ういリトリートは、一部の本当に献身なスタッフの祈りゆえに、あるいは悪魔の企みのゆえに、かろうじて成り立っているのだろう。

アリスとバーの女性との地獄語りは良かった。大学進学についての超具体的な助言もね。
たまたま昨日、Sports Illustrated Swimsuit号の権威について知ったところだったので驚いた。おかげでおばちゃんの話がよく分かったのだが、神の意志は妙なところにあるものだ。

リトリートに参加した生徒たちの悲壮な?証や告白を聞く側の「受け」はいちいち良し。笑った。

京都ちゃんて名前、かわいいわね。三毛かな。パリス・ヒルトン的なセンスか。

しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。(黙示録21:8)

トレーラー。

冒頭に私の好きなこの賛美歌が流れた。