英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

ついに「小さな家」シリーズKindle化(大驚喜)

ついについに、「大草原の小さな家」シリーズのKindle版が出ました。
ハーパーコリンズの公式で、Garth Williamsの手によるカラーイラストももちろん掲載。
これからは「あの本のあのくだりが読みたい!」がいつでもどこでもてのひらサイズに。嬉し過ぎて震える。

大人買いする気満々でしたが、まとめて買っても割引にならないのでとりあえず3冊購入…
Kindlerになってから、Kindle版で手に入る本はどんどん処分(売ったり、あげたり)しています。
が、このシリーズについては、ペーパーバックの箱入りセットやバラバラといろんな人が訳した邦訳版も持ち続けるつもり。やっぱり小さい子と一緒に読んだりするのは紙の本がよいので。

以下、私が好きな順にご紹介。

『大草原の小さな町』
この本のナンバーワンがゆらいだことはありません。
参照: ローラが愛した聖書
初めての街での仕事、メリーの大学行き、夫とのなれそめ、教師になるための一歩… などなど大人の階段のぼりまくり。
でも何より印象に残るのは、4th of Julyです。ローラの神との関係、アメリカへの信仰、パイオニアガールの矜持が詰まっていて背筋が伸びます。クリスチャンの後輩として学ぶところが多い。

『シルバーレイクのほとりで』
ここに描かれる、「その土地で初めてのクリスマス」には胸打たれる。
初代教会を思い出すのでした。一家に資本主義が侵入してくるのも興味深い。

『農場の少年』
この本を初めて読んだのはシリーズ最後、主人公がローラではないので随分後だったと思う。
でも読んでみると欠かせない1冊に。
勤勉で教育程度が高いのは共通してるけど、どっちかというとボンビラスなインガルス一家と比べ、ずっと豊かなワイルダー家。
ローラん家とはまた違う、パイオニア生活の知恵がたくさんかいま見られる。
ここの父さん母さんもすこぶる魅力的だし、アルマンゾの真っ直ぐさもすばらしい。
出版後、アルマンゾ宛にもファンレターがたくさんきて、アルマンゾがすっかり照れてしまった、っていう話、好き。

『大きな森の小さな家』
シリーズ第1巻。まだローラがちっちゃいローラ視点。
ブタのと殺、バター作り、メープルシロップパーティ、シャーロットとの出会い、とお楽しみいっぱい。
旅立ちの日の親戚との別れが辛い。

『大草原の小さな家』
父さんのバイオリンがいかに玄人はだしだったかが分かる1冊。
エドワーズさんはマイヒーロー。

『この楽しき日々』
教師としての単身赴任から、結婚まで。この本も読み返したくなるところが多い。
アルマンゾのプロポーズに対するローラの返しはわりとえげつないぞ。
彼女は大して社交に長けてるとも思えないし、それだけの機会もなかったんじゃないかと思われるのにうまいことやってる。

『プラムクリークの土手で』
昔はこれが好きだったんだよな〜
何しろローラ初めての学校生活だから。いじわるネリーの見せ場もたっぷり。
町のパーティ、村のパーティの比較も面白い。

『長い冬』
これは2回目に読んだ時のほうが感銘を受けた。大草原の冬、ハード過ぎる。

『はじめの4年間』
もともと他とは別の編まれ方をした巻で、「エースをねらえ」を夢中で読んだ後、数年たって「第2部」が始まったけど絵が違い過ぎてなんかガッカリ…と同じ感じを受けた。
実は私は1度しか読んだことない。
今読み返したら違うかもしれない。期待。

<番外:関連本>
インガルス家の貧乏の実態が描かれたPrairie Firesが怖くて強い。
ニューヨークタイムズ・10ブック・オブ・ザ・イヤー2017の1冊に選出。

【2024 追記】
ワイルダーは、賞の冠を外されるなど米国ではやんわりキャンセルされるようになりました。初めて邦訳版を手に取った小学生の私も、「母さんはXX人が嫌いだった」などと書いてあるのに引っかかりつつ、「まあ、昔の人だからな...」くらいに思っていました。でも、今『この楽しき日々』の大団円などを読むと、かなり注釈が必要な内容です。私が「小さな家」シリーズを好きなのは変わらないけれど、子どもに原文を読ませるのは厳しいというのは超同意します。
ちなみに、ドラマの父さん役の故マイケル・ランドンも、不倫・セクハラ・パワハラの話がバラバラ出てきていてキッツイです。しかし、「知ってた...」と思っちゃうんだよな。

本をネット上で宣伝するなら、電子版も販売してください... (ToT)

Creativity, Inc.の訳書、『ピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法』が発売されたことを、土井英司氏の書評メルマガで知った。

私は「アナ雪」のジェニファー・リー監督について調べているうちにCreativity, Incを知り、大変感銘を受けたので、翻訳者として和訳もぜひ読みたいと思っている。

が、電書版はまだないようだ。

こういうの、心底もったいないと思う。
ネット上でいろいろ宣伝してるのに、紙の本を買うしかないとは...
とりあえずアメリカではありえん。

私はこの本に対して関心が強いのと、在米のため和書との一番の接点が電書ストアであるため、今後電書化されたら、それが1年後であっても買うかもしれない。
けれどオンラインでこの本の存在を知り、興味をもった大半の電書ユーザーは、その時点で電書がなければ、買う機会を失すると思う。
電子書籍版があるということは、カスタマーとの接触の瞬間、最も「読みたい!」ときに、即商品を提供できるということだ。

ネット上の宣伝に時間とお金をかけるなら、その場でダウンロード購入できる機会はぜひ用意したいもの。

私はちきりんさん(彼女がサイト上で紹介した本はガン売れする)が、「今後、電子版がある本しか紹介しない」と宣言してくれたことにかなり喜んでる。

村上春樹なんかも誰の意向なのか全然電子版が出ないけど、これももったいない。しかたないので、彼の英訳本をKindleでたくさん買ってる。

関係ないが、『色彩を持たない多崎つくる...』の英訳本の装丁がめちゃ派手。
先週、サンタモニカの某書店の「店員おすすめ」に選ばれてた。

2024年追記、10年たって上記で書いた状況はさすがに様変わりした。メインの村上作品はだいたい電子化されているし、初版発売と同時に電子版が出るのがほとんどになった。ひとつ予想外だったのは「ちきりんさん」が闇落ちして読者をやめたこと...。

祝『エースをねらえ!』電子化

何がきっかけだったか「山、山に非ず、これを山という」という般若心経を思い出し、『エースをねらえ!』を読み返したくなった。
電書化されてないかなー、ないだろなーと探しに行ったら、あった!
なんと7/10発売!

小学生の頃、街に初めてできた古本屋でおメメキラキラの古い漫画を買うのが流行った。
ベルばら派とエース派に分かれたのだが、私は『エースをねらえ!』のダイアローグのかしこな感じにひかれた。

また、西高の生徒たちの大人なこと。
連載開始当時(私が生まれる前だ)の高校生はあんなに大人だったのだろうか。
一人一人が相手を思いやっているし、リーダーシップもある。
テニスを媒介に、教養とユーモアに満ちたセリフを吐く。
いったいどうなってんの。

私が好きなのは2巻と7巻。2冊を比べると後のほうはどんどん絵がうまくなる。

お蝶夫人とのダブルス!

冒頭の言葉は作中に出てくる。
たしか藤堂さんのセリフで、欄外に「球、球に非ず、これを球という」とも言える、と注釈が。

高校生の分際で?オーストラリア遠征!
また、オーストラリアの同士たちとの会話がいちいち知的。
桂離宮で感じたことを起点にテニスを語り出すのだから...


今、山本鈴美香さんのようなネームを書ける人がいるかというと、いないと思うのです。

怒れ女性 草葉の陰から千葉敦子氏より

STAP細胞の報道や、都知事選候補者の暴言について読んでいると、草葉の陰で千葉敦子氏が「何も変わっとらん!」と嘆いているのが聞こえるような気がする。

ジャーナリスト千葉氏の著書を私はすべて読んでいるが、『寄りかかっては生きられない』(1983年刊)は、残念なことに私が読んだ10年前でもまだ刺激的だった。なんせ、2000年代の新卒の就職活動の面接で、「この仕事は女性は無理です」とはっきり言われたこともあるくらいなので…
そして恐らく今も「差別はおかしい」と言っているだけなのに、なぜか話が通じない人が大勢いるようなのである。

この本は、鈴木健二氏、草柳大蔵氏の男尊女卑禁書に対する批評と、日本の男女のあり方に対する提案、エールで構成されている。
書評部分は、渡辺淳一大先生のエッセイにつっこみを入れるのと同様なんかもう脱力だし、かれらの言うことに同意しない人も増えていると思われる。
(たとえば、鈴木氏の著書「気くばりのすすめ」205ページには「神は女性に対して多くの心情とか情緒をお与えになったが、その分だけ考える性格を少なめ目にしかお与えにならないかったとみえて、女性は考えることがあまり得意ではない」と書いてあるのだという。合掌)

が、後半には、「今も同じっす!!」と言いたいことがいろいろとレポートされている。

私が学窓を出た1960年代の半ばに比べれば、いまは随分多くの門戸が女性に開かれています。女にまともな仕事を与え、管理職にまで昇進させる組織も少しずつですがふえています。
しかし、全体の歩みは私が想像していたより、ずっと遅いですねえ。先進国はもちろんのこと、発展途上国を見ても、日本より女性の社会進出が遅れている国は数えるほどしかありません。

アメリカでは、どこに行っても女のボスがいますが、こういう状況がタナボタ式に生まれたわけではないのですよ。ここ10数年というものアメリカの女たちは1人1人が、それぞれの場所で頭をひねり、行動を起こし、闘って、勝ち取ってきたのです。
日本の女性は、日本の男性ほどではないにしても、こういう持続的な粘り強い闘いが苦手のようですね。日本の女性の地位を高めようとしているのは、国際的な圧力ばかりで、国内の力はあまりにも弱過ぎると思います。

知ってる!外圧頼みってやつ!

1981年1月8日付日経新聞 Bank of Americaの副頭取、成田貴美さんの談話として。
「能力ある女性をムダにしていると国際競争にいずれ負けます」
「日本人は頭がよく、女性も素晴らしい人が多いのに、この優秀な人的資源を有効に使わない手はない」

三好(京三)さんの恐怖は、多くの自信のない男どもの恐れをよく表しています。いままで人類の半分は自分より下の地位にいて、自分たちに奉仕するために生きているのだと思っていたのが、どうやら同じ権利を主張しはじめたようだ。そしてまずいことに、女の中にもできるヤツもいる。21世紀は男にとって辛い時代になりそうだ…。こんなふうに考えておいでなのでしょう。

1983年8月12日付朝日新聞の「ひと」欄に大城弥生さんという大和証券に勤める女性が米国コロラド大学に留学されることになったと紹介されています。(略)
それで、この人のインタヴィューなのですが、「アメリカでは、男性と対等に仕事をするOLの生活ぶりも学びたい」はいいとしても、「お茶くみひとつでもおいしく、タイミングよく入れる工夫を忘れないOLでありたい」はいただけませんねえ。
どうしてこんなに男に媚びるのでしょう。インタヴィューしたのは男性記者ですが、こういう「男に媚びることば」を貴重な紙面を費して載せるのも感心しません。男の記者は仕事をする女をインタヴィューすると必ずといっていいほど、こういう男に媚びることばを引き出そうとしますから、気をつけて下さい。

大宅映子さんも1983年6月29日付の日本経済新聞に、そのような男に媚びることばを語っています。この記事によれば、「ところで、この手の女性、マスコミに売れはじめると、しゃしゃり出るのが、そのさがだが、彼女は、まず「母親である」ことを自分に言い聞かせている。「6時には、家に戻って、夕飯をつくる。それができない仕事は、お断り」と。(中略)どうやら、大宅壮一は、娘に「女は"女"である」ことをしつけたようだ」
となっています。
この記者は典型的なメイル・ショーヴィニスト(男性優位主義者)であることがぷんぷんと匂うような記事ですね。「この手の女性」「しゃしゃり出るのが、そのさが」などという表現、男で大宅さんのように仕事をしている人には絶対使わないでしょう。
それでも、この記者を喜ばせるような「6時帰宅」などというようなことをおっしゃったのは、大宅さんの失点です。
(略)
こうして比較してみると、日本の女性が、アメリカや韓国やフランスの女性よりもいかに遅れているかが分かりますね。同時に、どこの国でも男の意識は非常に古いものなのだということに気づかされます。

男に媚びる態度は、一度身についたらなかなか振り落とせないもののようです。たとえば中学生や高校生のうちから男子の運動選手のために洗濯したりお弁当つくりしたりする女の子、いますね。あれを始めたらもう重症でなかなか治りません。
エリートの女性の中にも媚びる人がたくさんいるのですから、日本女性の真の解放は、まだまだ時間がかかりそうです。

日本では現在、産婦にだけ産休が認められていますが産休が明けて職場に戻ると、冷い雰囲気に包まれることも少くないようです。1982年12月14日付の日本経済新聞によれば、同僚の男性は「仕事がふえて困った」「やめればいいのに」といい、夫までが「だからやめろといったじゃないか」というそうです。

現在は産休は両親に認められるようになったが、状況は30年前の上に同じ...な話は誰でも聞いたことがあるはずだ。

とはいえ、千葉氏はもちろん「日本人は〜」と一般化するのは間違いであることを知っている。
「日本にもすてきな男性が何人もいます。人類の半分を見下したりはせず、見下した態度をみると気持ちが悪くなる、という男性もいます」として、吉田秀和氏、鶴見俊輔氏、小松左京氏らをフェアであると賞賛している。

おまけ

女の子の躾けのうちでは、「方向感覚を養う」なんていうのが、意外に重要なのではないかと思います。男の中にも方向音痴はいますが、圧倒的に女に多い。いつも誰かに連れて行ってもらっているから地理を覚えないのでしょうか。責任のある仕事を持っている女性には方向音痴は少いのです。

今の私の実感では、これこそ個人差だと思う。「女に多い」とは感じない。最近も男性に道を聞いたとき、電話なのにしきりと「もっとあっち」と言われアホかと思った。方向音痴はダサい。平気で「地図よめない」と言う人多すぎ。

ちょっと当たりつつある予言。「単一の価値観」でもこぢんまりと暮らしやすい、これ以上経済発展を目指さない国を目指すか(私はそれもいいと思う)、多様性を広げることに力点をおくか、どちらに舵を取るかいい加減決めるべき時かなと思う。

短期的にみれば、こういう、あまりものを考えないで突っ走る男たちの群れが、日本経済の成功をもたらしたといえるでしょうけれど、長い目でみれば、日本社会のように多様性に乏しい社会は大して進歩もしないし、次の世代に残すような豊かな文化もつくり得ないのではないかと心配です。単一の価値観が支配する社会が長期にわたって繁栄したことは、歴史的にも見当たりませんものね。

彼女の理想。

日本の男性は、いますぐ帰宅時間を早め、週末はバッチリ子どもと過ごしたらよいと思います。

夫の残業手当てが減る分くらいは、妻が十分に稼げるでしょう。

性別による分業でなく、それぞれの人の得手不得手でさまざまな組み合わせが出てきていいと思います。

21世紀の女性は、表面的な礼儀よりも中身のあるコミュニケイションを重視し、変にへり下ることなく、自分のセクシュアリティーに誇りを持ち、自己主張は強く、自分を大切にし、不満ははっきりと表明し、スケイルの大きな目標を持っているだろうと私は思います。こういう女を「こわがる」男は大幅に減って、一段下ではなく同じレヴェルにいる女と手をとり合うことを喜びとする男がふえるでしょう。

最後に、差別の存在を意識すること、それをなくそうと努力することの意義は、ここに集約されると思う。

(女性の解放が)なぜそれほどに重要かといいますと、女の解放こそは、男の解放、子どもの解放につながり、それこそ真の人間解放を目指すものだからなのです。

引用はすべて千葉敦子『寄りかかっては生きられない』

私にとっての千葉敦子入門はこの1冊。

合理的な暮らしについてツラツラ書かれた本で、もうIT関連など古くて役には立たないが、最も好きな本。私をアメリカに引っ張ってくれた。

上に同じ理由で好きな1冊。
「英語だけは」「机」の項には刺激を受けたし、ちょっとしたパーティミールの作り方など何度読んでも面白い。

これらも私をアメリカに引っ張った作品。
彼女が手紙のやりとりをし、マンハッタンを案内したという米沢富美子博士の物理学レクチャーにまで足を運んでしまった。千葉氏と邂逅のあった方なのだと思うと感慨深かった。

千葉氏の記事のファンの方に。
彼女の妹さんのサイトで、「千葉敦子の思い出」を読むことができる。
死去後26年たった2013年に千葉さんのことを綴ったすばらしいエッセイがネット上を漂っているのを知ったときはどれほど感激したか。しかも、妹さんの文章は洞察に富んでいてうまい。姉上の思い出だけでなく、クリスチャンとしてのエッセイ「神様の話」も何度も読み返してしまうほど良い。
さらに。。。感銘を受けた記事に簡単にコメントを入れたら、お返事が投稿されていた。
さあ、ご一緒に。「いんたーねっと、すごい」