1800年代後半アメリカの出エジプト記。
久しぶりに終映後の拍手を聞く。
映画というよりも、最後に数枚のテロップで紹介されたハリエット・タブマンの生涯「その後」に対して、という感じだったが。
彼女はモーセのように祈る人だったが、「あなたの言われたとおりここに来ました。それなのになぜこんな目にあうのですか」という問いかけが、状況は失礼なくらい異なるものの私の最近の祈りとまったく同じで「そうそう!こたえくれー」と同調した。
トニ・モリソンが亡くなってから、「名前」の持つ力についてよく考えている。
聖書はもちろん、江戸時代の物語にも「名前って大事よ」というメッセージが織り込まれている。
逆に子どもに1号、2号、3号と名付けて、4番目からは1号に戻る…という文化もあったりするのが面白い。
話がそれたが、ハリエットというfreedom nameに感じ入ったゆえんだ。
When you know your name, you should hang on to it, for unless it is noted down and remembered, it will die when you do.
―Toni Morrison
それにしても、無理くり連れて来られたアフリカ系アメリカ人がキリスト教を深く内包して力にしているのは皮肉だなあと思う。
かれらの宗教史をきちんと勉強したことはないが、元は征服を善とする白人の「主人」からの伝道だったのだろうから。
キリスト教が今まで生きながらえている理由はやっぱり「適当だったから」((C)佐藤優)ということに尽きるのか。
そしてハリエットの辞世の言がキリスト気取りな件。
もちろん、これほど彼女の功績を的確に言い表す言葉もないのだけれど。伝記作家のねつ造かと思うほど出来過ぎである。
わたしは、あなたがたを迎える家を準備しに行くのです。 (ヨハネ14:2)
トレーラー。