ニューヨーカー誌掲載のチャンネ・リーのエッセイをもとにした作品。
アジア系アメリカ人のステロタイプ・エピソードを詰め込んだ。
とはいえ、子どもに圧をかける親も、lost in translation も、クリスチャンコミュニテイも、サンフランシスコも、家の味の引き継ぎも、今なお真実。
でも、少なくともこの20年は日系はこの限りではない気がするんだよね...。あくまで大陸からのアジア系移民のステロタイプ。
背水の陣を敷いているか否かの違いか。
旅行ではなく移住のために渡米したとき、仁川経由の大韓航空を利用した。
LAXに着陸した途端、隣席のアジア系の若者が電話をかけ始め、「ソウル最高だった、たくさん親戚に会った、みんないい人だったよ」と興奮して話していた。
どうやら初めて一人で親の故郷に行って盛大な歓待を受けたらしい。
今ではそのへんの人から故国の話を聞かされるのは日常の一部だけど、このときは「移民国家アメリカに来たのだ」としみじみしたのを覚えている。
この映画は悪くなかったけど、父親の存在が不気味でつらかった。
常に体が硬いというか。
教会の人たちが来てくれるシーン、いろいろな意味でひどかった。
彼も子どもの頃に教会に行かされたことくらいあるだろうに、今更ナイーブすぎるだろう。
そして、かれらの肉の伴わないエバンジェリズムの問題に加え、バレットが最高裁判事に決まりそうな今日、「キリスト教」(キリスト教じゃなくて「キリスト教」ね)が権力者に利用されているのは神様的にいいんですかね?と上に問いかけずにはいられなかった。
何においても御旨が最善だと信じているし、アメリカのシステムにおいてもそれが実現されるようにと祈り、行動することはやめないけれど。
ヒラリーも敗北演説で言ってたやん?
Let us not become weary in doing good. (Galatians 6:9)
必要なら裁きが下るだろうしね...。偶像崇拝は一番大きな罪なので...。
最近見てウケたコメディアン、ジミー・O・ヤン(『クレイジー・リッチ!』のアホボン)のインタビュー。
話を聞く限り、彼のバックグラウンドもジ・エイジャン・アメリカン。