英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

京都造形芸大学 通信教育部で受けた愛について

今日はこの地域には珍しいくもりである。
ふと、しあわせな京都スクーリングのことを思い出したので書いておく。

私がお世話になったのは、京都造形芸術大学の通信教育部(以下KUAD)。
当時、一般紙に大きな広告がしょっちゅう出ていて、何度か資料請求した末の入学。

新学期にはドンと教材の大箱が届いた。
自慢ではないが、通読したテキストは1冊もない。

で、スクーリングである。
どこの駅から行っても遠いのは同じなので、
私は北大路駅から30分歩いて通った。

くもりだったのは教養の「英語」の授業のとき。
年の暮れも押し迫った土日2日間集中のクラスだった。
やさしい先生が、面白いテーマをたくさん持ってきてくださって、
実に楽しかった。
窓の外に見える洛北は墨色。でも教室の中はあたたかい。

先生がお好きだというビートルズのビデオも見た。
解散間近に撮られたものだけれど4人だけで楽しそうに演奏しているね、
リバプールにいた頃を思い出しているんじゃないだろうか、
と先生はおっしゃった。

クラスの最後には、レノンの"Happy Christmas"を聞いた。
外はまだくもっていた。

肝心のデザインのクラスが後になってしまったが、
印象に残っているのはタイポグラフィ。
学生一人ひとりへの目が行き届いていて、
ちょっと困っていると補助教材をさっと作って持ってきてくださったりする。
その授業の前にタイポグラフィの歴史を調べたのも面白かった。
(かろうじてテキストを読んだもの)

イラストの授業もよかったな。
やっぱり、クラスメートの作品も見られて講評できるのは楽しい。
最後に3枚ずつ札をもって、好きな作品に投票していく。
何人かゼロ票の人も出てきてしまうのだが、
「何票入ったかなんて大して意味は無い。
でも、一票も入らなかったのは、他の作品と比べて何かが足りなかったのだということを
覚えておいたらいいです」と先生は言われた。

また、そのときは授業の前におびただしいアイデアイラストを描いてくるのが必須だった。
私はほぼ前日だけで「こなし」て、持参した。
当日、クラスメートの仕上げてきたものを見て、恥ずかしく思った。
失敗以前の失敗を悟った。

1人1人先生に講評に呼ばれ、はたせるかな「この課題に単位はあげられません」と言われた。
「なぜだか分かりますか?」と先生。
「雑だからです」と私。
「そのとおり。デザインは思いやり、ですよ」

その後、2日間イラスト制作の実技中、その先生は
「丁寧に描いているのが伝わりますよ」とフォローしてくださった。
(今思い出すと涙が...)

他にもレクチャーだけの教養授業をいくつかとった。
あんまり内容を覚えてないけど、
映画「二十四の瞳」を見ながら戦争のプロパガンダを読み解く講義は面白かったな。

それぞれの先生のお名前も忘れてしまったが、
得がたい1年だった。
京都は私にとっては異次元、非日常。
その山奥にこもって勉強するのは感動的なことだった。

私は学校好き、通信教育はもっと好きで、
社会人になってからどれだけ「学費」に使ったか。。。
それぞれが良いめぐり合わせだったけれど、
はじめからKUADに行って、関西にいるうちに美術の学位をとりたかった、
それがちょっと悔やまれる。

私の在学時と異なり、今は美大卒でなくても3年次編入できるようだし。
またいつか日本に滞在することがあったら戻りたいな。

もしKUAD入学を迷われている方がいたら、肩をバシバシ叩いておすすめする。
高校卒で通学部に入るより、社会人になってから通信に入れ、とすら言う。
ありがとう、KUAD。