英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Test Pattern を見た。Shatara Michelle Fordデビュー作『テストパターン』

手際良く多方面の意識を喚起させるコンパクトな佳作。

日本で不幸にして性的暴行を受けたときのレイプキットやカウンセリングへのアクセスの問題については伊藤詩織さんが書いていた
このテキサスでの問題はまた違う問題で、このボーイフレンドがそうだったように性犯罪にあったときにどうすべきか、という知識はあるが、サポートが機能しているかというとまた別。ほんとにこんなミスコミュニケーションが起こるんだろうか。
ジョディ・フォスターの『告発の行方 The Accused』(1988)の検査場面が印象深かったせいか、高度な早期対応システムが構築されているんだろうと何となく思い込んでいた。あの場合は救急の取り扱いで特別だったのだろうか。
今いる場所からrape kit、sexual assaultで検索してみると、信頼できそうなホットラインが出てくるので、この映画の2人のようなたらい回しにはあわずに済むかな、と思う。分からないけど...。

そして、女性のからだは誰のもの?問題。
彼女を責めず、一人でキレ散らかしたりもせず、病院に連れて行くリネーシャのボーイフレンドは一見まともだ。
でもその動機が「俺のモノをやられっぱなしでたまるか」なのでは、主に宗教を笠に着たプロライフ男や女を機械と思ってる政府、人減らしに暗躍する政府と何ら変わらん。
たらい回しの中、「絶対検査、とにかく検査、シッコはそれまでガマンしろ」のボーイフレンドにリネーシャは尋ねる。「いや、なんでアンタがそんなに必死なわけ?」と。

捜査打ち切りを告げられて話は終わるが、犯人がつかまろうとつかまるまいと、彼女の苦しみが始まるのはまさにこれからなんだ。

NYTのレビューが指摘していた、リネーシャが黒人、ボーイフレンドとレイプ犯がどちらも白人である設定もまたサブテキストだ、というのは確かになぁ。
現実を映す努力をすると自ずと「多様性」は達成されるんですよね。
主人公をマイノリティにすりゃいいんだろ、ってことじゃなくて。

トレーラー。