昨年成立したエメット・ティル反リンチ法の発端の物語。
1955年にはこのようなリンチ事件が大きく報道される程度には進歩していたのだなと思ってしまった。
そしてこの時代でも、人種差別をメディアの中だけの人ごとだと思いながら育ち、そのノリで他州に行って被害にあう、というほどの地域差があったことを知った。
絶対に同列に語れることではないけれど、カリフォルニアンの私がコロラド州に行ってあからさまに差別されてガビーンとショックを受けたときみたいな。
息子の棺を前に、神に向かい「私に何をせよと仰せなのか、それを実行する能力を与え給え」と叫ぶのは敬虔すぎる。
彼女のハンナの祈りは聞かれたのだ。
マイノリティの意思をディスカウントしようとするゲリマンダリングは今も続いている。
にもかかわらず昨年の中間選挙で民主党が予想より善戦したのは朗報だったが、大統領選は早くpopular voteに変わってほしい。
ボーの出発前からのメイミーの不安に押しつぶされる。
嫌な予感というのは、懸念がリアルなほど的中してしまうものなのだ。
私も日々「今、心配したのを取り消します、すいませんすいません」と唱えている(不安がるのは神の約束を信じないという罪なので、悪い考えが浮かんだらキャンセルせよと教会で教わっている)。
Moneyという地域名は何かと不便そうだ。今的に言うとググラビリティが著しく低い...。
ティルモブリーの回想記。
トレーラー。