英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 The Fabelmans を見た。スピルバーグの『フェイブルマンズ』

スティーヴン・スピルバーグの8ミリカメラを携えたComing-of-ageストーリー。

小学生のときに読んだスピルバーグのゆるい伝記の内容が頭にあったのと、各誌絶賛レビューの雰囲気から、『リコリス・ピザ』『ラ・ラ・ランド』みたいな内輪受けかなぁ...と萎える感じがあったのだが、とんでもなかった。
最初の30分(サミーの言葉を借りれば、fake, totally fake。わざとやってるんだろうけど)を乗り越えれば、あとは素晴らしくスリリングな、ハヌカにぴったりの逸品だった。

カメラの後ろに立つことの権威性。
切り取られたものはフェイクであれ事実であれ「真実」になってしまう。
サミーの撮った自分の姿を見た母親と差別主義者のスター同級生の動揺は、「真実」を突きつけられた人の姿として説得力が高い。
特に後者はintenseかつentertaining。
Ditch Dayの映画を見ているうちにスター同級生の目線になってしまって「なんでこんな撮り方してん!」と一緒にサミーを問い詰めてしまうの。

ユダヤ人ファミリーとしての描写も興味深いものが多かった。
中の人は自分がreligiousだとは思っていなかったかもしれないけれど、一家のOSが旧約聖書にあることが節々でわかるようになっていた。『未知との遭遇』につながるのも道理である。
大伯父を出してきたところなど、監督にとっては非常に重要だったのでしょう。

特にインターネットなき時代は、アウトライアーの登場はほぼ環境に依存していたことがわかる。
グラッドウェルの『Outliers』が解釈したゲイツとジョブズが突き抜けた理由と同じ。

決して「映画業界の内輪受け」には終わっていないけれど、ユダヤ系が力を持っている映画業界で好感されやすいというのはどうしてもあるかも。『リコリス・ピザ』『シンドラーのリスト』のように。

LA移転後のエピローグは、蛇足の不安が湧いてくる前にピシッと地平線が決まり無事着地、拍手。
(でも、お父さんだけかわいそうすぎるよね...)

帰りに聞いたラジオで、アレが反ユダヤ主義者と会食した件の分析報道が流れててげんなり。

【12/7/2022 追記】
ユダヤ人ではない役者がユダヤ人を演じていることを批判したIndieWireの記事。
Enough Already! Let’s Agree It’s Weird When Gentiles Play Jewish Characters
とはいえ、そもそも「ユダヤ人」のレプリゼンテーションが一意ではないんだけどね...という留保も。
実際、こちらの自称Jewの仲間たち、信仰のグラデーションからして幅広く、とてもじゃないが共通点など挙げられない。改宗者も多いし。

スピルバーグもまさにグラッドウェルが言うところのOutliersのひとり。

邦訳。

私が、Artを通してこそ真実が伝わること、真実には絶対にそれとわかる力があることを学んだ本。

トレーラー。