ま、カトリックのえらいひとが何を言おうと、イエスの最後のときまで一緒にいて、よみがえった彼に最初に会ったのはマリアたちであり、野郎弟子は見事に全員逃げ去ったのは聖書的事実なわけでね。
ほとんど聖書の筋は追っていない。
十字架にかかってからも聖書のセリフ全然言わないし、絶命してからも天も地も割れない。
それだけに、「宮の中で生贄販売してた人たちにちゃぶ台返し」(宮きよめ事件)が、自身の受難のフラッシュと共に描かれていたのは興味深かった。
あそこは、聖書の入り始めに「この人どうなのよ?」と思いがちな部分。
旧約合わせて読んでいるとその怒りの理由はよく分かるけど、この映像にも説得力がありました。
最後の晩餐、マリアとイエスの婚礼みたいな絵に撮ってあった。
私たちも教会もイエスの嫁であり、彼は来られたときから婚礼のしたくをしてくれていたので、嬉しかったですね。
ホアキン・フェニックスのイエスは、これまでに映像作品で見たどのイエスよりも良かった。
オーラなくて小ぶりで。
昔何かの科学雑誌で見た、イエスの顔を解析、再現した図像に似てた。
ずんぐり、気のいいおっちゃんといった趣。
ルーニー・マーラの無垢かつ深遠なまなざし。
久しぶりに、この役はこの人以外にできないなあ、と納得させられる達成だった。
初めてスチール見たとき、「なんてマリアなの!」って思った。
ホアキンが十字架を背負ってダラダラ血を流しているのを見て思わず涙が出た。後ろの席の人も泣いていた。
昨日受難日、明日は復活祭。
ハッピーイースター。
トレーラー。