英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

片思いが苦しいクリスチャンに

片思いや、もう会えない誰かのことが忘れられなくて、苦しんでいる人に。
小さな証しをシェアします。

私は普段、去る者即日疎しです。
それなのに、その人の思い出だけはいつまでたってもまとわりついて、
もう戻れない、会えないかもしれないと思うと切なくてたまらない。

神さま、一体、このことにどんな意味があるんですか?と尋ねていました。
神さま以上にその人のことを考えてしまう、そんな偶像礼拝はしたくありません、なんとかして!と祈っていました。

こたえはこの本から与えられました。
渡辺和子姉妹の『置かれた場所で咲きなさい』。

通訳をしていて感心したのは、馴れない土地での長旅、数々の講演にもかかわらず、74歳のマザーのお顔に、いつもほほえみがあったことでした。その秘密は、宿泊のため修道院にお連れしようと、2人で夜道を歩いていた時に明かされました。
マザーは静かに、こう話されたのです。

「シスター、私は神さまとお約束がしてあるの。
フラッシュがたかれる度に、笑顔で応じますから、魂を一つお救いください」
"祈りの人"であったマザーは、何一つ無駄にすることなく、祈ることを実行されていたのです。
ご自分の疲れも、煩わしいフラッシュも、神との交流である祈りのチャンスにして、人々の魂の救いに使ってくださいと捧げていらしたのです。

神は、私たちが痛みを感じる時、それを捧げるもの、神への「花束」とする時、その花束を、単なる祈りの言葉よりもお喜びになるのです。
私たちは、とかく、自分中心の願いを"祈り"と考えがちですが、祈りには、痛みが伴うべきではないでしょうか。
私も日々遭遇する小さな"フラッシュ"をいやな顔をせず、笑顔で受けとめ、祈りの花束にして神に捧げたいと思っています。

渡辺和子著『置かれた場所で咲きなさい』より

なぜずっと気づかなかったのか。
誰かのことをイヤというほど思い出してしまって辛いなら、そのたびにその人のことを祈ればいいのだ。
っていうか、「その人のために祈れ」っていうコマンドなのだ。

でなければ、こんなに思ってしまうはずがないではないか。
その人の救いを何度も何度も感謝しよう。

それにしても、聖書でなくほかの本からこたえがくるのは、クリスチャンとしては、まだまだ固いものを咀嚼できない赤さん。
神さまは「あなた、まだこうやって教えないと分からないレベル」と言っているんですね...

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片思いが苦しいな、と思ったら、妙なスピリチュアル本著者に貢ぐより、聖書と、このガイドブックだけで十分どころか真の希望と確信がきます。
何より、神さまは「あなたの"the one"を準備してるよ」と約束してくださっている。
その祝福を受け損ねないためのヒントがたくさん詰まっています。

KDPですがプロの編集、校正が入っているのではと思わせるほど読みやすく、親切なつくり。
どちらの牧師さんでしょうか、この本が執筆されたことに感謝しています。