すごくおもしろかった。窓のない部屋のすみずみから脳の奥深くまで光線が炸裂する。
絵的にも、バチカン宮殿の暗がりに外から光が差すモチーフが神々しく繰り返される。
クライマックスはそれがきわめて暴力的な形で現れたけれど、未来をつくるには過去を陽に干すのも、風にあてるのも、大事なこと。
私個人のプロテスタント信仰にも言語化という光が照射された。
うちの教会でも、牧師は知らんけど、大先輩ほどuncertaintyを愛でているような感じがする。こないだも95歳の姉妹が「今でも毎日イエスを探している」と言っていたしなぁ。I am searching for Jesus、まさにサーチライトを照らすように。
最近見たドラマ『アンオーソドックス』でも感じたが、儀式、しきたりみたいな壮大な「無駄」がつくり出す市場の豊かなこと。ラテン語からしてそうよね。(リベラルが言語の多様化をゆるしまくった挙句、逆にラテン語を排他的扱いして捨て去ろうとしてる、という批判が出てくるが...)
アフリカの司祭に瑕疵を与えているのも脚本としてよかった。ステロタイプ描写、神聖化を経てかなりいいとこまで来たね、と思う。
神光あれと言たまひければ光ありき。(創世記1:3)
聖言うちひらくれば光をはなちて 愚かなるものをさとからしむ。(詩篇119:130)
原作は『ファーザーランド』のロバート・ハリスの同名小説。
平日マチネ、11.99ドルで鑑賞。
トレーラー。