英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

人混みに恐怖を感じたときのこと

私が人混みに「まずい」と恐怖を感じたのは、2003年に阪神が優勝した日(もう20年前か...)の道頓堀の戎橋の上でのことだった。
たまたま関西の友人宅を訪ねていたので、なかなかないことだから雰囲気を味わいに行こう!ということになり、夕方から、それでも1時間以上かけてわざわざ御堂筋に行った。

前後のことはあまり覚えていないのだが、橋の上の途中から明石の事件が頭をよぎった恐怖はまざまざと思い出せる。
身動きがとれなくなり、痴漢の手が次々に伸びてきて、同じ目にあったのだろうか、「やめてよ!」という女性の声と、「守ってやれよ〜」と嬉しそうにはしゃぐ男の声が同時に聞こえてきた。

ここで死ぬのは恥ずかしすぎる、と思った。
私は阪神ファンではないどころか、野球のルールさえよく知らないのだ。
それなのに、なんだか祭りなニュースに、めったにないことだから、とノコノコ普段来ない場所に1時間もかけて来てしまった。
それで卑怯な、でもある意味私たちと同類の輩の餌食になった上、命まで失うのか...。バカすぎる...。

前にいた友人をかばおうとするでもなく、自分自分自分!とりあえず自分は生き残りたい!と思ってしまったことも覚えている。

幸い、雪崩が起こることはなく、なんとか北側に抜けて歩き出すことができた。
私たちはその後、タコ焼きを買ったりすることもなく、黙々と足早に歩き続け、無言で帰りの地下鉄に乗った。
たぶん、そのとき友人も私と同じように自分を恥ずかしく思っていたのではないか。

合気道の師匠が、一番の護身術はいらん場所に行かないこと、と言っていた。

フットワークの軽さはかなり人生を左右するのに?と多少の疑問も感じていたのだが、この日、本当に師匠の言わんとすることをよく理解した。

何があっても本望ならいいが、どうにも愚かとしか評価できない判断も存在するのだ。

たとえば、アメリカくんだりまで、行きたいという思いの実現以外にメリットはないのに出かけて行って住みつくなんて、人によっては「いらん」ことの極みだろうが、私は今日この国で行こうと思って行った場所で何があっても悔やまない。

でも、あの日の道頓堀は、私にとってまさに「いらん場所」、誤った判断だった。
今でもあの愚かさを心から悔いつつ、友人ともども助けてくれた神に感謝している。