英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Speak No Evil / Gæsterne (2022) を見た。クリスチャン・タフドルップ『胸騒ぎ』

苦しい。すごくきつい。(ほめてます)

これはフィクションだ!悪に魅入られるアダムとイブのメタファーなのだ!と自分に言い聞かせなければならないほど。
救いを求めて、ビョルン&ルイーセ役の普段の笑顔の写真とか探してしまった(サンダンスでチョケてる動画とかあったら随分慰められたと思うけど監督しか見当たらない。Wikipediaにはまだ立項されていない程度のふたりだが、この作品で飛躍してほしい泣)。

事前に「カタルシスがある」という一行レビューをチラッと見かけたのがよくなかった。
いずれ逆襲があるのだろう...と期待してしまったので。

何がつらいって、特にルイーセが泣いたりわめいたりせず、粛々とイーブルに従っていくことよ。

この切ない感情、知ってるぞ、何だっけ...とずっと考えていたのだが、もう10年以上前に見たトム・シックスの『ムカデ人間』だ。
もう涙も枯れ果ててムカデのケツにつながったまま死んでいった女性の目を思い出したのだ。

それから、「旅先でなくし物をすると無事に帰宅できる」という迷信がこの映画では真だったね。
私は普段落とし物、忘れ物の類はまずしないのだが、なぜかラスベガス旅行でのみ過去3度もなくし物をしているのだ。
帰途や帰宅後に気づいてすごーくがっかりするのだけど、そのたびに、でもあれが身代わりに取られたから私は無事に帰ってこられたじゃないか、と納得できるのでかなり精神衛生上効果の高い迷信である。
今後、この映画のおかげでさらにその効果が強まりそうである。

先のレビュワーが何を指してカタルシスといったのか揺さぶってやりたい気分だが、ウサちゃんで小さき人間の善は引き継がれた、なんなら彼女がこれから裁きを下すということでよろしいでしょうか...。
あのUターンが文字通りターニングポイントでしたからね...。

だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。(テトス3:2)

グループの中で、一部の人が解さない言葉を使わない、というのは多言語社会でわりと共有されているマナーだと思うのだけど、かれらは平気でそれをやりまくり、挙句にはそもそもそしることもできないようにしてしまった。
やべえよー。

トレーラー。