英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。Python、Ruby、JavaScript、神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Beauty and the Beast (2017) を見た。「美女と野獣」

"ハワード・アシュマンはオスカーの栄誉を見届けることはできませんでした。
Tale as old as time
True as it can be."

車に乗りがけに聞こえたラジオのナレーション。
断片だったので広告だかパブだか分からなかったけれど、ぐっと子ども時代に引き戻された。

あの、アニメ映画としては史上初めてアカデミー作品賞にノミネートされた(長編アニメ部門創設は後のこと)1991年の名作は、Something Thereを遺作に倒れたアシュマンに捧げられたのだった。

人魚に声を、野獣に魂を吹き込んだ、私たちの友人ハワードに。
We will be forever grateful.
Howard Ashman: 1950–1991

そして2017年版である。素晴らしいトリートだった。
これほど何度も拍手が起きたのは、私の少ない映画館体験の中ではThis is it以来である。
アニメ版を経ずに初めて本作を見た人はどう感じるか想像もつかないが、アニメ版を繰り返し見てスコアを聞きまくった私のような人にとっては、アニメ版との差分を楽しむ映画だった。

同時に、アニメ版(ここでは便宜上1991年作品をアニメ版と呼びます)が、いかに生命あふれる逸品だったか、気づくことになった。

やはり冒頭から朝の風景まで、アニメ版を完全に、そして生き生きとなぞっているのが感動的。
ミュージカル版で大きな見せ場だった、ガストンの酒場も良かった。
そして最も作り手の愛が感じられた楽曲はBe our guestだった(拍手起きた)。
なぜか「善」みたいなものを感じた。
ただ、これはこのシーンがキャラクター全員CGの完全アニメシーンだったからかも。
(生身なのはテーブルについて眺めているベルだけ)

逆に、ふたりの関係が変わっていくさまを描く重要な楽曲、Something Thereは、アニメ版と比べて非常に惜しまれる仕上がり。
全体的に野獣とベルの接触を避けていて(やっぱり処理が面倒くさいのか)、「ああ、あのしぐさがない」「あの視線がない」「あの怯えと喜びがない」という、絵はきれいなのに、いまいちふたりの感情の距離が縮まらないように見えて、終始歯がゆい。

そう、生の人間とデジタルキャラクターがミックスされていることでもっと重大な部分がとても残念な結果になっていた。

野獣に愛を感じないのだ。

アニメ版の野獣ときたら本当に素敵で、王子に戻らないほうがよかったよね〜、という声が多かったのを覚えている方も多いだろう。私なんか当時、田舎の映画館に頼んで、終映後に「野獣のみの大写し」のポスターをもらいに行ったほど。

特に本作は、野獣の瞳がポイントになるのがアニメ版で分かっているので、CGの野獣の瞳に特別なものを見つけ出そうとした。が、何もなかった、というか、あまりしっかり映してない感じだった。

で、最後、人間に戻ってアニメ版同様、元野獣のまなざしがズームアップされるのだが、

別人の目やーーー!!!

というトホホな事態に。
野獣は人間が特殊メイクでやると思ってたんだがなァ…

野獣そのものが醸し出す無機質さに加え、やはり、いかにエマが上手な役者でも、いや上手な役者だからこそ、相手がCGでは愛の感情が生み出せなかったのかもしれない。(撮る時は人間同士でやってモーションキャプチャしてると思うんですよ。でも後で野獣部分が差し替えられて、撮影時にはあったかもしれない化学反応が亡きものになってるんです)

そして、アニメ版にはあって本作にはなく残念だった部分。

  • 野獣がベルを目隠しで図書館に招き入れるシーン。ちなみに「田舎の本屋」はアニメ版よりさらに質素な「人んちの本棚」になり、野獣図書館との対比が大きくなっている。
  • ダンスシーンで、野獣を衣紋掛けが、ベルをタンスが見送るカット。
  • 同じくダンスシーンでのルミエールの照明指揮。
  • 同じくダンスシーンで、ベルが野獣の胸に頬を寄せ、野獣と家来たちが目線でhi-fiveし合うシーケンス。

まあ、ダンスシーンはBeauty and the Beastのsignatureなので、どうしてもアニメ版のほうが完成度が高いように思えてしまう...
でも、エマ・ワトソンの黄色いドレスと耳飾りはとてもチャーミングでした。というか、ベルの装いはブルーの普段着、Something Thereのワインレッドのケープから最後の春色の軽やかなドレスまで、アニメ版よりもずーっと美しかったです。あと、"Le No Makeup"なメーキャップもいいですね。エマ自身のソバカスと意志的な眉がとってもベルでした。

本作の付け足しとしては、野獣の幼少期、ベルの母親の記憶さがしが実に要らなかった。
実写ではもう少し人物描写、ベルの父親の存在を見せる必要があると考えられたのだろうか。
昔の住居にトリップするシーンとか、ただもう余計なことはやめて〜としか思わなかったけど。
アニメ版にはない野獣の自分語りの楽曲は、ミュージカル版にはあった。あれは許容範囲。

逆に、本作ならではの良かった部分。

  • ル・フウのガストンに対するPCなセリフの数々。失礼じゃないように人をディスるアイデアにあふれています。参考にしましょう。
  • 野獣とベルのシェイクスピア語り。
  • 最後、それぞれが人間やイヌに戻る大団円は、原作の物語そのままに、「声優はこの人でした〜」をのカーテンコールになるわけで、なかなか面白い。

おしなべて、涙が出そうになるシーンは多かった。
アニメ版を見て感激していた頃から、「ここまで来たんだなー」という個人的な感慨だったかもしれない。
舞踏会シーンのカメラワークにCGが使われたことが非常に話題になったのは、このアニメ版だ。

あの頃、私はアニメ版のビジュアルブックをもらい、そこに紹介されているスタッフたちのインタビューやプロフィルをなめるように読みながら、「アニメは描けないけど、リサ・キーンみたいなビジュアルイメージ、背景画だったら私にもできるかも」などと子どもの頭で考え、なぜか「ディズニースタジオで働いて、そこに両親が日本から見学に来て、スタッフたちに紹介する」という妄想をしていたのだ…
(ちなみにリサは「アナ雪」でもイメージボードを描いています。アニメ担当じゃなかったからこそ、息長く仕事をされているのかも)

ただその次作、自己模倣に走った『アラジン』でディズニー熱はあっさり冷め(未だにその後のフルCG作品も好きになれないでいる)、さらに当時は思いもよらなかったインターネッツなるものが普及し、妄想したのとはやや違う形だが、ロサンゼルスで仕事をする巡り合わせになった。感謝である。

ついでに言うと、セリーヌ・ディオンの思い出も最近ここでつながった。
彼女のことはアニメ版で初めて知り、ブライソンとのパフォーマンスに感動したけれど、この歌のためだけの、ディズニー声優的、舞台専門的なポジションの人だと思っていた。
だから、2年も経ってから、Power of Loveでビルボードにチャートインしているのに気付いた時はわりと驚いた。
その後、折々に良い楽曲に巡り会い、安定した活動を続けているのは誰もが知る通り。

そしてそして、一昨年、ついにラスベガスで彼女のショーを見ることができたのだ!
実はその時、「美女と野獣」の歌のことは忘れていた。で、彼女がそれを歌い始めた時、昔、MTVでこの歌に本当に夢中になって、アメリカに焦がれたことを思い出したのだ。今、ホンモノを聞いてる!しかも20年以上たっても、セリーヌの声には全く衰えがない!うぉー!
というわけで、タイタニックとかどうでもよくなったのでした。
彼女、ステージで"I feel your love always."と言ってくれた。

やはり、オリジナル版のセリーヌのinterpretationが最高です。
今回のアリアナとレジェンドによる新版デュエットも悪くないけど、たぶんMay J.的扱いになっちゃうかと… 
観客もサッサと席を立ってたし…

西海岸のアニメ業界で仕事をしたい人の必読書はこちら。

邦訳も出ています。

「アナ雪」監督ジェニファー・リーのインタビューもお読みください〜