英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画『悪人』の被害者の描かれ方について

児童養護施設での性虐待、家出、売春に関する仁藤夢乃さんのブログ記事「『赤ちゃん縁組』で虐待死をなくす」を読んだ。

性犯罪被害の裁判の報道や、セカンドレイプの話を耳にするたび腸が煮えくり返るので、大いに共感した。

性虐待・性暴力について「子どもが悪いという考えは受け入れない」というのが、性虐待、人権を考える上の世界的な基本姿勢。

「子どもが職員を誘惑した」という考え方は絶対におかしい。

またさらにうっかりコメント欄を見てしまうと、上記のようなしごく当たり前の考えが全く共有されていないことに愕然とした。
(無ロゴスは3年くらい前はもう少しまともな議論の場だったような気がするのだが、今のコメント欄の下劣ぶりはひどすぎる。「ロゴス」という言葉を冠さないでもらいたい。)

被害を受けた子どもは絶対に悪くないのだ。
なぜなら、前にも書いたように、They don't know what they're doing.

それに対して「例外もある」とか言う奴は人間の力関係というものを分かっていない。例外は一切ない。

以前、collegeで映画の文法についてのレクチャーを受けたとき、
日本映画『悪人』について教授が、「この物語のように『性犯罪を受けた側にも責任がある』『ビッチは性犯罪を受けてもしかたない』みたいな描かれ方は、アメリカ映画では絶対にありえない。たぶんまともに上映できないと思う」と話されたのをよく覚えている。

もちろんアメリカにだってそういう考え方の大人がいないわけではない。
けれど、それが間違っている、何よりも子どもの権利を守る、という意思は日本よりも強く行政のフレームにあらわれていると思う。
「人間は弱くて罪をおかしてしまうもの」という根底の概念もあるので、人間が間違いやすいところ、特にそれが子どもに相対することには法律がギンギンに効いている。
風呂やトイレの同行は何歳まで、とか善良な大人には多少息苦しく感じるほどかもしれない。
子ども相手の性犯罪を起こせば人生一発アウトだ。

残念ながら大人になってしまった人間の考えはそう変わらないので、法律でしばるしか子どもを守るすべはない。
「性虐待・性暴力について子どもが悪いという考えは受け入れない」ことを形からでも徹底してほしいと切に願う。

悪人

悪人

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