Twitterで昔の海外文通についてちっちゃく盛り上がった。
私が海外に手紙を書きまくっていたのは高校生の頃。
当時家で講読していた読売新聞で「日本にペンパルを欲しがっている人は多いのに、国内に相手がいない」というペンフレンド協会の記事を読んだのがきっかけ。
記事内に連絡先の記載がなかったので、まずは読売新聞に手紙を書く。
すぐに丁寧な返信が家庭部から届いたので、協会に電話をした。
おじいさんぽい方が応対してくれ、ほどなくしてガリ版刷りみたいな手作り機関誌が届いた。
なになに? 「クーリエ」とよばれる自分の宛先を記述したシールと、切手を送れという。
小遣いは厳しかったが、切手なら家の買い置きがある。
しめしめと10枚以上を送付。
手紙は覚えているだけで4通もらった。
中国とエジプトの男の子、リトアニアとブルガリアの女の子から。
中国の子は同封されていた写真がどうにもワクワクしなくて(写真は必須じゃないのだから、送ってくれなきゃいいのにと思った)高校の海外に興味を持つクラスメイトに「中国との文通興味ない?」とゆずった。
彼女はしばらく文通を続けたようだ。
エジプト君の手紙には "I go to school by bus"と教科書そのままの文面が並び、封のテープには砂が挟まっていた。
彼ともあまりやりとりは続かなかった。
ブルガリアンはどんな会話をしたかあまり覚えていないが、音楽の話になってミスチルの録音テープを送った。
しかも歌詞の概要説明までつけたのは御苦労なことである。
彼女は喜んでいたが、その後「マライア・キャリーも欲しい」とか言い出したので、そっちで買えやと消滅。
長く続いたのはリトアニア。
優秀な女の子で、フランス語の試験で1位だったとか、賞をもらったとか、誇らし気な報告をいろいろもらった。
家族も大切にしていて、おばあさんのことをよく書いてきた。
ここでちょっとツイスト。
ある日、リトアニアの別の女性から突然手紙が来た。
なんでも、「道端であなたの住所が書かれた紙を拾い、手紙を書いてみた」という…
先述の子に「私の宛先のメモをどこかに落としたか」と問い合わせると、「可能性はある。ちょっとジェラシーだけど、あなたがその人とも文通をするのは止められない」と返事がきた。
なんじゃそりゃ、と思いながら、「道端で拾った住所」に手紙を書いてしまう女性に興味をもち、返事を送ってみた。
しばらくやりとりがあって、彼女はちょっと暗い生活を送っているらしいのが伝わってきた。
ずっと家にいてアイロンをかけており、あまり楽しみもないという。
美人の写った写真が送られてきたので、私も子どもっぽい自分の写真を送った。
結局、大学生になる頃にはすべて自然消滅していたので、「大人になって実際ペンパルに会った」とかいう人の経験には遠くおよばないのだが、少なくとも今となっては絶対に得られないスリリングな出来事だった。
当時アメリカに憧れた一高校生には「どこやねん?」だったバルト三国について知る機会にもなった。
さて、ネットが普及し、当然のようにオンラインで海外文通もしてみたのだけど、なぜだか続かないのだった。
すぐ返事がくるのが面白くないのか、在米になって英語のやりとりが日常になってしまったからか…