英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Silence を見た。マーティン・スコセッシ監督『沈黙 サイレンス』

長い。
でもやたら褒められてるんだよなあ、この映画...

私は元々本作をなぜか「色モノ」と思っており、見るつもりはなかった。
でも兄弟姉妹に誘われ、イブに先達の闘いについて思いめぐらすのもよかろうと考えたのだ。

クライマックスのロドリゲスの踏み絵のシーンでイヤな予感が的中した。
いきなりJesusの「踏みなさい」という声に、観客から失笑が漏れたのだ。
だよね…
これでは、「『神の声』っていうのは人間にとって実に都合がいいんだよな」と実感するだけ。
神との交わりは非常に個人的なことなので、厳しくてもパドレ自身に語らせたほうがよかったのでは?

tangibleなアイコンを手にすることにこだわるのに「なんだかな」と思うのは、私がプロテスタントだからだろうか。
(でも、カトリックのパドレも劇中、日本人たちにロザリオをバラして分けながら、「彼らは神の手触りを求めていた。その物自体に信仰を持つ(偶像崇拝ですね)のが不安だったが、どうして拒める?」とつぶやいていた)

それにしても、日本の迫害の残酷なこと。
悲しいのは、ローマと違い、信仰を貫き通した彼らの犠牲が、「お上な人たち」の気持ちを動かしてないし、後の日本の礎になってないんだよ。
彼らに、「あなたたちのおかげで日本に光がもたらされた」って言えないんだ。
それにやっぱり、ピアプレッシャーの影響もあるっぽい点、ヨーロッパの殉教とは違う。
「彼らは信仰のために迫害を受けてるんじゃない、おまえを守るためだ」ってセリフがまさに。

で、その後イブ礼拝に行ったのだが、
「ホロコーストでコルベ神父に身代わりに死んでもらった人が、その後ろくな人生を歩まなかった」という悲報を思い出したり、
礼拝後、初めて来た人が、ろくに歩けない年寄りや子どもを押しのけて我先にポトラックを食べまくってるのを見て、今も何も変わらんと思ったり(礼拝で何を聞いてたんだか)、今更それくらいのことでめげて人を裁いている自分にも呆れたり。

劇中の窪塚 "ユダ" 洋介と同様、「弱い私をゆるしてください」と祈りながら帰ってきた次第。
そうそう、窪塚ユダよかったよ、ガリンガリンの役作り、みっともない走り方に人間の弱さがよく出ていた。「ピンポン」のペコ役思い出した。
Jesusは彼みたいな輩をこそ愛したのだ。

神以外のもの信じちゃダメだな、と改めて感じた聖夜。

セットが大河、朝ドラレベル。
じゃあどうだったら良かったわけ?と聞かれると答えようがないのだけど。
日本の(業界でなく)クールジャパンのエライ人たち、この映画の撮影を日本に誘致できなかったのは本当に恥だよ。

日本人の兄弟姉妹、同志たちへ、この映画は私たちに捧げられています。
未だクリスチャンは1%以下と言われる日本。がんばるべ。

ひとつ興味深かったセリフは、"tempted to despair."
希望を失うというのは罪なのです。

というわけで、やはり狐狸庵先生の原作を。

沈黙 -サイレンス- (字幕版)

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  • アンドリュー・ガーフィールド
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アンドリュー・ガーフィールドのインタビュー、Jesusと交わろうとするエクササイズはメソッドアクティングだというのはなるほど!!!!私も今年はそういう切り口でJesusに近づいていきたい。年の初めにいいこと教えてくれてありがとう、と言いたい。

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