英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

ジャーナリスト 伊藤詩織さんの『Black Box』への賛辞

彼女の会見に関する報道やインタビューを読んできて、悔しさと怒りを共有し、
「司法や捜査、性犯罪ホットラインなどのシステムの改善に取り組むべき」という主張にも120%賛同する。

だから本書を読んだら益々怒りばかりが湧いて来るのが分かっていたのだが、ほんの、ほんの少しでも彼女の、ひいては性犯罪と闘うためのサポートになればと思って購入した。

予想どおり、つくづく腹立たしい記述が続く。
訴えられている男性が「法に触れることはしていません」と一つ覚えのように繰り返しているのを見ると、法は無理矢理すり抜けたけど、人間の道を外れたという良心の呵責はちゃんとあるわけね、と思う。

本書の主題の事件についてもそうだが、それよりも第三者からポツポツ発せられる「被害者も悪い」のメッセージに絶望を感じた。

彼女に励ましの言葉を送りつつ、「でもいろんな考えの人がいるからね」とわざわざ付け加える人。

プールで痴漢にあったことを訴えた著者に、「そんな可愛いビキニ着てるからだよ」と言った「友達の母」。

私自身、違和感をもって覚えていたことを思い出してしまった。

京大アメフト部レイプ事件が報道されていた時、ウチの母が「マンションに行ったほうも悪いわ」と言ったこと。
通っていた学校の先生が、セクハラ発言を受けた女性代議士に対して「あの人も過去にひどい発言をいろいろしてる」と得々と語ってきたこと。

いっぺん地獄に落ちてきてほしい。

会見を決意した彼女に、「自分の娘だったら、報道はできないが顔を見に来るだけの記者たちに囲まれ、興味本位の質問をされるなんて考えられない」と言ったという新聞記者。

私だって同じ気持ちだ。自分の娘でなくても、本書に出て来る、「性犯罪傍聴マニア」のように、恥もなくただ単に「消費」をする輩はどこにでもいる。
でも、そのあなた方の娘たち、あなた方のために彼女は闘ってるんです。
自分にだって自分の愛する人にだっていつ降り掛かるか分からないことなんだから。

FCCJに会見を断られたというのを本書で知ったが、それって結構ショックだ。
それにも関連するが、「あ、この時の彼女の気持ち、すごく分かる」と思った箇所。

そんな時、「週刊新潮」の記者に、メディアに対して私の会見に関する報道自粛を求める動きが、水面下で拡がっているらしいと話すと、彼は軽い調子で、
「ああ、知ってますよ」
と言った。「だから何?」というようなその姿勢に、私はとても勇気づけられた。

妹さんの
「英語で会見するなら想像ができる。でも日本語で日本のメディアだけにやることはしないで」という言葉も、もう自分が言った言葉みたいに理解できる。

それでも、ジャーナリストの清水潔氏の著書に書かれていたという、
「小さな声にこそ耳を傾け、大きな声には疑問をもつ」という言葉を私も自分に刻み込んだ。

あとがき、レイプ被害者キャリー・グッドウィンさんの父親の言葉に「涙は止まらなくなった」という彼女と一緒に、私も泣いてしまった。

この詩織さんの声、NYTの告発から広がった#MeTooに希望を持ち、心から感謝、賛同する。
私も決して黙りません。

10/24追記、出版を機にFCCJで会見されました。1度目に会見を断られた理由についても質疑がありましたが、彼女は納得がゆかない表情でしたね...
ある記者の「本件についても慰安婦についても言えるが、女性たちのシンパシーがないことに驚いた」というコメント。彼女は、そういう考えの違う女性たちと話したいと穏便にまとめていましたが、私は「そうなんだよ!」と一番腹が立った。根元に何があるのか分からないけど、それが「女も悪い」につながるのでしょう。どうしてそこまで自分と他人を大事にできないのだろう?日本さっさと沈んでくれと思ってしまった。

2020.6追記
今更ですが、裁判の支援ができます。
https://www.opentheblackbox.jp/
程度の低い話だけど、カードが使えてさすがと思った...。日本は寄付したいプロジェクト、買いたいサービスがいろいろあるのに「銀行振込のみ」!!!!!!!!!にどれだけ阻まれてきたことか...。

彼女の仕事にも心動かされているので、こっちも応援してます。
https://www.yubaridoc.com/

関連:
映画『悪人』日本における性犯罪被害者の扱いを「ナイ」と言った教授の話。
3年後、伊藤氏の闘いに励まされる。「メディアで起き始めた“MeToo”」の録画を見た。
伊藤詩織氏プロデュースのドキュメンタリー UNDERCOVER ASIA: LONELY DEATHS を見て。


また本書で、Missoulaに邦訳版があるのを知ってちょっと驚いた。
キャンパスレイプを追ったルポでこちらでかなり話題になってはいたし、もちろん多くの人に読んでもらいたい作品だけれど、日本で翻訳出版するのは結構厳しかったんではないかと。
出版にかかわった方々に敬意と感謝。
原書については「洋書ファンクラブ」に詳しい。

人間の脳が肥大化してから。池谷裕二・中村うさぎ著『脳はこんなに悩ましい』を読んで。

脳が入ってからの人間の歴史が、聖書の記述と全く矛盾しなくて震える。

中村 進化の過程で、人間は滅びるのが当たり前だった。手を自由に使え、脳が発達していったために、人間は滅びずに済んだんだ。


池谷 人間は手を器用に使い、道具を作る能力を獲得しました。そのおかげで、毛がない小型動物であるにもかかわらず滅びずに済んだのです。


中村 ポイントは衣装かな。


池谷 そうだと思います。ヒトは服を着ることを覚えたおかげで、極寒のシベリアやアラスカにまで進出できました。

池谷 (中略)イヌにも心はあると思いますが、「心」の存在に当事者であるイヌ自身が気づいていない。イヌは「私」の存在に無自覚なのです。一方、ヒトは「自分は他者とは異なる心がある」こと、つまり、「あなたと私は個別な存在である」ことを知ってしまった。「私の発見」は、心の進化にとって大きなステップだったと思うのです。

脳=人間の罪(自我、神から離れること)の源。
生き残りの鍵となった「衣装」はキリストの暗喩、毛皮だ。
神はヒトをエデンから追放するにあたり、情け深くもキリストを着せ掛けてくださった。

神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。(創世記3:21)

別の項には、人の不幸を喜ぶ脳の初期設定を証明する実験についても書いてある。「そういうふうになっている」。やっぱり脳=原罪だ。。。

そして...

中村 脳科学を追究すればするほど、最後は「この脳を作ったのは誰なのだろう」という疑問で行き詰まってしまう。


池谷 それはとっても重要な問いかけ。「どうしてそうなの?」と尋ねるとき、その問いには、二つの意味があります。英語で言えば「How (by which)」と「Why」です。科学が答えられるのは、「How〜」で始まる問いでしかありません。「どうして指は五本なの」というとき、「いかにして五本の指が発達段階で形成されるか」という疑問ならば「How」に相当しますから科学的に問えるわけです。でも、「Why」だと……。


中村 「そもそもなぜ指は五本なのか」という問いには答えられない。「Why」は神の領域なのか。


池谷 「神様がそう作ったから」としか言いようがないわけです。私はまだ無宗教ですけれど、それでも、こうして「神」を持ちだした答え方をせざるをえない。苦しい時の神頼み(笑)
ヒトの指は五本ですが、鳥は四本、馬は一本です。その差について「Why」の答えを真正面から問えるのが、宗教や哲学だと思うのです。ほら、こう考えれば、もう答えが出ましたね。「神」とは何かー。それは「科学ではわからないナニか」のことです。だから神を科学で解明しようとする試みは……。


中村 科学的に矛盾している(笑)


池谷 そんな風に考えるとき、私は科学者としての無力さを思い知るわけです。そして、それが密かに快感。だって、科学は「自然がいかに偉大かを探る学問」ですから。
「神」の「通る経路」と書いて神経。その神経を使って科学をする者の、心地よい宿命ですね。と同時に、神を想定しないと思考できないヒトという生物を、ひたすら愛しく感じるのです。

池谷先生、「私は『まだ』無宗教」と言われている。学問を突き詰めた歴代の科学者たちは結局、神へ…という文脈というのもあるが、日々脳と向き合って、いつかは本気の神頼みになるしかあるまいな、という予感があるのだろうな…
そして最後の言葉は、まさに神をおそれかしこむ求道者だ。方法は違うけれど、神学者、牧師と、やっていることは同じ。感動的。

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
(詩篇19:1, 2)

サイバラ氏の著作を読みたいのに読めない残念さ

続々やってくる大型ハリケーン。教会でも物資や人材を送っているところだ。
テキサスでは数10万台の車が浸水によるダメージを受けたというが、修理屋さんへのインタビューでなるほどなと思ったのは「ある年代以前の車のほうが直しやすい、低価格で直せる」と言っていたこと。
コンピュータバリバリの車よりもブリキのオモチャに近い車のほうがとりあえず何とかなるんだろうなと思う。
私がウォシュレットをキライな理由もそのへんにある。

「毎日かあさん」「カネの話」でファンになった西原理恵子先生の新刊を読みたいのに、買えないのが残念である。
私は海外在住ということもあり、和書はほぼ電書一辺倒なので、買わなければ読めないのである。
なぜ買えないのか。

最近の彼女がレイシスト傾向を隠そうともしないからだ。

私は今年、多くのアメリカンたちと同様、Uberアプリを削除した。
企業のトップの言動が、自分が信じるvalueに反すると分かれば、一消費者として可能な限りその企業に金銭が流れないようにする。どんなに小さなあがきでも。
西原先生の書籍を今後買えないのはそれが理由だ。

「カネの話」のメッセージには心底共感したので、いろんな意味で残念でたまらない。
(どれも「カネの話」とほぼ同内容だ、という噂もあるが)

昔、スポーツの場で感じのいい人と知り合って喜んでいたのだが、3度目に電話をくれた時、ネズミ講セミナーの勧誘だった。
その時の無念さに似てるかも。
ぜひもっと友達になりたいのに、関係を維持するならもれなくネズミ講がついてくるという状況…

もう1人、ちきりん、伊賀泰代氏も。
海外で人質にとられた人に対して「舌をかんで死ね」と言い放ったツイートをリツイートしたのを見て以来、1冊も買っていない。ツイッターもブログも見るのやめた。
最初の何冊かを大変面白く読んだのに。特にメディア作りの裏側を書いた本は面白かった、と宣伝に加担するのも不本意なんだが。

とはいえ、私は誰かが1回気に入らないことを言ったり、くだらない本を書いたりしたからと言ってそれでキライになるのはどうよ、と思う派だった。
そういうものの決めつけ方はもったいないと、渡辺淳一(!)の小説もガマンして読んでいた(!)という千葉敦子氏の影響を受けていたので。
実際、生身の人間に対して、一度のことですぐにキライだ、好きだと言う態度も何様だ、と思ってたし。

でも、一度でも「誤った」で済まないこと、取り返しのつかないことってある。

佐藤優氏が「あの作家(ヨーロッパの著述家)はダメです。ネコを殺したとか書いてあるから」と言っていて、本当にそうだ、人間として付き合いたくない人の作品に時間を費やす必要ない、と我に返った。

When someone shows you who they are, believe them the first time.
—Maya Angelou

映画 Love & Friendship を見た。ジェーン・オースティン『レディ・スーザン』映画化

非常に退屈。
セリフ劇は好きなのに、魅力的な役者は1人も出てこないし、私にはコスプレしか楽しめるところがなかった。
(でもケイト・ベッキンセールのメイクがコンテンポラリー過ぎ。ヤンキーみたいだった)

観客に一番ウケていたのは、聖書の知識をこねくり回す2シークエンス。
ですので、聖書になじみのない人は、Exodus(出エジプト記)を読んでおくと多少楽しみが増える、かも。

私は「あしながおじさん」を読んで以来、書簡体小説が苦手…
あ、でも「こころ」は好きだ。村上春樹氏が、夏目作品の中では「こころ」の日本人人気が高いのが意味わからん、と書いていたが、単純に教科書に載ってたから読んだことがある人の分母が大きいだけじゃないかな、と思ってる。私も教科書で出会ったし。

マンガとの再会 ありがと、Kindle。

「重版出来!」1巻で、こんなチャレンジがあった。
「『かつて漫画を読んでいたが、今は離れている』層へのアピール方法。安く…長く…」
そこでは、ドロくさい方法に活路を見出し、1人の営業君が育って行く、という話だったのだが、私が言えるのは、「まずは電子版を揃えなはれ、話はそれからじゃ」。

私は中学生の頃まではわりと熱心にマンガを読んでいた。「ちびまる子」全盛期、少女マンガ中心だ。
漫画家になりたいと公言して、友人たちと同人誌も作っていた。
でも高校入学頃から、気づいたらマンガを読まなくなっていた。あんなに楽しみにしてすみずみまで読んでいた「りぼん」、何がきっかけで発売日を気にしなくなっていったのか、逆に不思議である。

ン10年がたち、渡米した。マンガどころか、和書が手に入りにくい生活に。。。
しかし、しばらくして私は、Macよりも私の生活を変える神器、Kindleに出会う。
さらに数年たって、ついにKindle Store Japanがオープンした。
すると、
1) セールに出ている作品に興味をもってダウンロードしてみたり、
2) 誰かが「あれいい」と言ったマンガをポンと買ったりするようになった。
1は、とにかくKindleがなければまず出会わなかった。
2は、Kindleというアクセスツールがなければ、「買う」というアクションにつながらず、まず忘れ去られて終わりだった。

こうして、数は多くないけれども、またマンガを手にとるようになった。
そんな作品の中には「出会えてありがとう」と言いたいものもいくつかある。
こんなすごいことがあるだろうか。下に紹介する。

<さよならタマちゃん>
私が最もKindleよ、ありがとう、と感謝している作品。
働き盛りの漫画家によるガン闘病記、セールで知って購入。
物語の間がうつくしい。(ちょっと「タッチ」を思い出した)
映画をコマ送りしたようなストーリーマンガを発明したのが手塚先生だとしたら、「(病も)プレゼントだよな」の項、奥さまへのラブレターなどまさにムービー。
最高です。

<大阪ハムレット>
これも驚きの大きかった作品。大阪人の1人として感謝する。
「少年アシベ」は知っていたが、どんなものを書く作家さんなのか全く知らなかった。
多分これもセールで知ったのだと思う。

シナリオと飄々とした画風がバッチリマッチ。
おおざっぱな、時に哀しい人たちの緻密なセリフの応酬がなんともいえない。
そして背景のセリフが抜群にうまい!!!
しかも、知らん人にやさしい声をかける(主に)大阪人がたくさん出てくるのでなおさら。
「パパ、キムチは?入れたらなあかんやん」
「先生に羊羹切ったげてや、わかるか」「お母ちゃんも食べるん?」「あ、ほしーなー」
「お嬢ちゃん、時計見てみ」
「ボン、女の子けったらあかんやん」…

もちろん全巻購入したが、1巻が最も粒が揃っている。
何回目かに読んだとき、涙がザーザー出てきた。

<エースをねらえ!>
これは再会。昔、中途半端に読んでいたのだが、1巻以外一気に買って、改めて練りに練られたセリフの数々を堪能。
絵が安定してない、説明が多いのが面倒で、いまだに1巻を読んだことはない。
また、第2部(11巻以降)は、明らかに作風が変わっており、絵が違うのも辛くて、買っていない。
第1部最終巻はこちら。子どもの頃は気づかなかったが、最後のほうは露骨に枚数が足りないよ〜って感じになってる。

山本鈴美香先生の他の作品では、「ベルばら」の二番煎じ、「7つの黄金郷」を再読したい。はよ。

<動物のお医者さん>
これも再会。昔、絵が好きでよく読んでいたので買ってみたが、2巻以降には手が出なかった。もはやバイブスが合わないのが残念。
イヌ王国に移住して、昔よりもイヌ好きになったんだけどなー。

<オルフェウスの窓>
「ベルばら」よりもこの作品に夢中になりドイツ語通訳になった、という方のコラムを読み、ドイツ語学習者として「おお、それはモチベーションが上がるかも?」とスケベ心で購入。
結果、やっぱり「ベルばら」好きには物足りないと思いました…
池田理代子先生といえば、本当は作家になりたかった、というくらい、ストーリーの鬼で有名ですが、本作では「決定的場面を偶然見てしまった!」という朝ドラ的展開が頻発し、安易すぎ。
キャラクターも自己模倣に走ってしまっています。
でも頑張って最終巻まで買った…多分読み返さないけど。

ちなみに、「重版出来!」2巻ではマンガの電子化にまつわる苦労も描かれている。
ほんと、電子版を敵視する人は「紙がなくなるなんて…」と思い込んでるんですよね。
紙も電子も両方揃えればwin-winだぜ!(死語)というだけのことなのに。

そして、「重版出来!」を私が手にとることになったのも、電子版があったからです。

蛇足ながら、Kindleがあったからこそ失敗した買物も多々あるのですが、一応サンプル読んだ上で決めているのと、たいてい数百円以下なこともあり買ったことすら即座に忘れます。
Kindleのガチャな所以。