英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Street Gang: How We Got To Sesame Street を見た。『ストリートギャング』私のセサミストリート

ついに!映画館が戻ってきたYO!
去年Straight Upを見て以来なので、実に14か月ぶり。
よくぞ持ちこたえてくれた。
ここ以外の行きつけ2館はつぶれてしまった...

そして、本作は映画館復帰作としてぴったりだった。
私よりももっとセサミになじんできたであろう観客たちと一緒に鑑賞できたのは至福。
みんなよく笑ってた。

編集がちょっとfussyだが、具がよいので面白く見られる。
とにかく...創作に携わった人たちみんな笑顔がいいですね。

同時に、何度も書いてるけど、「NGのときの演者が一番魅力的」問題も。
特にパペッティエたちの場合、失敗するとそのままパペットでふざけ続けていて、そのアドリブがまた「脚本どおりよりはるかにいいね!」なパフォーマンスで、一体どう考えたものかと思ってしまう。

パイロットを作る段階の心理学者をまじえたリサーチ、一番のターゲットオーディエンス(教育を受ける機会が乏しい子どもたち)へのアウトリーチの取り組みがとても興味深かった。

もともとテレビCMの中毒性を応用しているものの、番組を見ている子どもたちがどんなところで気が散るか、を精査するくだりなんか、現在のリサーチ・スクリーニングのあり方にもつながる。
映像の評価で一番重要なのが「テンポが悪いと感じたのはどこか」。

実際、『美女と野獣』のノーカット版を見たとき、映画に吸い込まれていた子どもが削除されたシーンにくるたびに画面から目を離してアクビしたりしていて、こりゃ見事だな、と思ったものだ。

セサミストリートは私にとってMTV(特にシンディ・ローパーのTime after time)、Aチーム、ナイトライダーと並んで80年代のアメリカの思い出を怒涛のようにあふれさせるトリガー。
カーミットとミスペギーのイラストがついたランチボックス持ってキンダーに通っていた。
帰国してNHKで放送が始まったときは嬉しかったけれど、そのときはもうすでに別モノに感じたんだよな。

舞台をストリートに設定するまでの試行錯誤を見ながら、「おかあさんといっしょ」をいい加減、一新しろよと思わざるを得なかった。
子どもを「おかあさんがいなくてかわいそう」な子にしてしまうのは、その子に「おかあさんがいなくてかわいそう」と言うまわりの傲慢な大人なのよ。

関連書。

トレーラー。

映画 Hope/Håp (2019) を見た。Maria Sødahl監督『ホープ 希望』

たいへんよかった。
不治の病に向き合う人間をモチーフにした映画は数あれど、少なくとも日米にこういう断絶ギリギリの絶妙な距離感(対病気でも対人でも)を描ける人はいないのでは。
北欧の徹底したほの暗さも、この人たちの他者への敬意のはらいかたを浮かび上がらせるのに貢献している。
6人の子どもたちも、主人公の目線を通せばとことん成熟した「他者」。

内田樹が、愛と敬意は相反するものであり家族に必要なのは愛ではなく尊敬することなんだ、というようなことを書いているのを読んで疑問を感じたのだが、この映画を見て、敬意こそザ・愛じゃないかと改めて思ったよ。

「余命3か月と知って長年のパートナーとの結婚を決めるんだよ」という筋だけを聞くと、I'm good と思うかもしれないが、絶対裏切られるのでぜひ体験してほしい。

フィクションではあるが、オスロの医療従事者の勤務事情が垣間見られたのも興味深かった。

トレーラー。

映画 Time (2020) を家で見た。アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞候補作『タイム』

ユニークなドキュメンタリー。
ジャズにのって軽妙に20年間の闘いを描く。人権の回復を求めるのはかれらにとっては日常だということ。
白黒編集でフォックスの生え際に白いものが増えていくのが痛切に。

ところで、この正直で知的でヴァーバルな夫妻が銀行強盗をした、というのがどうにも頭で理解できない。
教会や学校をはじめとしたコミュニティにも恵まれたんだろうけど、子どもたちがグレずに真っすぐに勉強好きに育っているのを見ると、忍耐力や克己心も備えた人たちに違いないし...。

出来心のスケールがでかすぎないか。

タイム

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トレーラー。

映画 Quo Vadis, Aida? を家で見た。アカデミー国際長編映画賞候補作『アイダよ、何処へ?』

怒りに震える。
もう地球上の「男」が全員消える以外に解はないのではないか。

4/17追記 霊は理性だ、という話の流れでまたぞろ牧師が「男性はまだいいが、女性は往々にして感情的で...」と言い出し、会堂の中でひとり怒り再沸騰。
ほんとうに「男」にからし種ほどの理性があったら、この映画みたいなことは起きてねえよ怒

2021年アカデミー短編ドキュメンタリー映画賞ノミネート作5本を家で一気見した。

昨年に引き続き印象に残った順に。

■ Hunger Ward 『ハンガーウォード 飢餓病棟』
イェメンの小児栄養失調病棟のレポート。
悪いのは全部大人。
私が子どもの頃、親は食事のしつけの際に「食べられない子もいるんだよ」という言い方をした。
当時のモーターボート協会のCMやトットちゃんのイメージもあってそのときはいつもアフリカの子どもたちを思い浮かべた。
数十年たって、今も飢餓に襲われる地域は減らず、それどころか日米でもまともに食事のできない子は増えていて本当にごめんなさいという感じ。
ひとまず、映画が作られた目的のひとつに応えようと映画の公式サイトを通じて寄付をした。
亡くなった子も含めて患児が女の子ばっかりだったのは偶然だろうか。

■ Do Not Split 『不割席』
今日、米報道官が北京五輪ボイコットの検討を示唆した。
これほど若い人たちが「自分は捨て石になる覚悟がある」と。なんという不条理。
ちょうど抗議活動が始まる前に日本の電車内で出会った香港人サイクリストカップルのことをよく考える。

YouTubeで全編公開中

■ A Love Song for Latasha『ラターシャに捧ぐ 〜記憶で綴る15年の生涯〜』
ハーリンズさんのことを初めて知った。
黄色い看板のリカーショップから始まって街の風景が私にとってもすごくなじみがあって、黒人とアジア系の諍いの根はここにもあったのだなと思った。
先日見た17 Blocksを凝縮したような作品。

Netflixで公開中。

■ Colette 『コレット』
大戦中にレジスタンスに加わっていたコレットが90歳を迎えて初めて兄が死んだドイツの収容所跡を訪れる。
やっと悲しみが薄れてきた、と言う一方で、ドイツで開かれた歓迎会で誰の話も聞きたくない、と癇癪を起こすコレットに、なぜか関西の同和教育を思い出した。
級友のひとりがよく言っていたこと。
「同和地区があったことをわざわざ教えなければいいのにね。何も知らなければそもそも差別しないでしょ?」
とんでもない。人間は同じ過ちを繰り返すのだから、せめて取り返しのつかない過去の苦しみをなきものにしてはいけないのだ。忘れてはいけないのだ。

YouTubeで全編公開中。

■ A Concerto is a Conversation 『ア・コンチェルト・イズ・ア・カンバセーション』
音楽家クリス・バワーズの小さなメモワール。
じいさんが語るジム・クロウのフロリダからディズニーコンサートホールまでの旅路。
興味深いが、編集が好きじゃない。
最後のプレミアコンサート、日程的にロックダウン前のはずだが空席が多くて気になった。

ingoditrust.hatenablog.com

トレーラー。