英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 17 Blocks を見た。ホワイトハウスの裏手から『17 Blocks 家族の風景』

ぐいぐい伝わるローデータ・ドキュメンタリー。
ホワイトハウスから17ブロックの界隈に暮らす家族の20年を監督と本人たちが撮った。

場所柄、2回の大統領選の夜の描写もあるのだろうな、と思ったのだがとんでもなかった。
終始「政治ナニそれ食えるの?」とでも言われそうな雰囲気。
これほどキャピトルの近くにいながら、選挙人登録もまともにしていなかったのではないか。

古く美しい建築の大ぶりの家が並ぶのに、空気は剣呑なストリート。LAセントラルやボイルハイツのよう。
『心臓を貫かれて』のごとく、血筋が呪われているのではないか、永遠に薬物中毒と暴力が連鎖していくのではないかと思わせる不穏さ。

独特の弔いの「カルチャー」が印象的だった。
故人の写真にグラフィック処理をしてRIP Tシャツをつくり、葬儀でみんなでお揃いを着る。
そのプリクラみたいな安いデザインの数々が印刷店に「商品例」として掲げられている。
どの故人も、イマニュエルと同じような青年たちだ。
人々はそれを見て「この人はうちの子の前日に死んだんだ」「4か月前だ」って...。

背景にビヨンセが流れる家の中で、殺された兄弟の血痕を掃除するシーンには誰もが無言になるだろう。
なんという日常。

幸い、ラストでついにかすかな光が差す。
Matt Zoller Seitzがレビューの中でシェリルのプロフィールにふれ、長くしらふを維持できていること、現在は地域のアクティビストでもあることを挙げて「すべてを見てくれ、というのが彼女の意思なのではないか、だから何年も前から動画の記録を始めたのではないか」と述べている。

That something so beautiful came out of suffering should give her some comfort, for whatever it's worth. At least the story was told, and others can see it.

  • Matt Zoller Seitz "17 Blocks" review

たぶん、これから議会やホワイトハウスの中継を見るたびに、「この背後に彼らが...」と思い浮かべると思う。

本編のあとに流れた監督とシェリル、スマーフのオンラインインタビューがよかった。
明るい笑顔にほっとしたし、スマーフはNever too late、と言ってくれた。

坊ちゃんのジャスティンはジョン・レジェンドに似てる。

トレーラー。

映画 Words on Bathroom Walls を家で見た。『僕と頭の中の落書きたち』

拍手。佳話だ。
認知症に続き、統合失調症の当事者の声を聞く。
リアルを認識できるのは、誰かがいてくれるからこそ。

僕と頭の中の落書きたち

僕と頭の中の落書きたち

  • アナソフィア・ロブ
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それから、最近精神科医の本で読んだ、人は「未知の幸福より既知の不幸を選びがち」という知見について思い巡らした。
実際、「心の底では病気を治したくないんだろうな」と思われる人はいる。治ってしまって病気を言い訳にできなくなるのを恐れているんだろうな、って。
この作品のアダムも変化に怯え、勝手に薬をやめて病気に留まるが、自分が不完全であることを認めてようやく脱出に向かう。

それでも私は、どんな状態も本人が意識的・無意識的に選んだ結果なのだ、というアイデア(アドラー?)は危険だと思う。少なくとも他人に対して「本気で治す気ないんだろう」と決めつけたくなる自分には抗わないといけないなと思った。

私自身、変化を恐れないつもりでも、誰かが引っ越すとか(知らない隣人でも!)、誰かが会社を辞めるとか、そんな小さなことにわりとショックを受けているではないか。

母親の妊娠に動揺しまくるアダムの気持ちはなんだかすごく分かるのだ。

ダニエル・スティールが躁うつを患った息子ニックの生涯を綴った『輝ける日々』では、人々はニックを環境の変化から守ろうと奮闘する。しかし、ニックも含めて人は変わるものなので、そうそううまくいかない。
ようやく信頼を得たカウンセラーの女性が、ニックを動揺させまいと妊娠を隠したまま昼夜のない世話役に邁進し流産してしまう、という悲惨なエピソードもあった。

アンディ・ガルシアの適当な神父、よかった。
アダムへの励ましに型通りの聖句(第2テモテ1:7)を伝えたら「もっと他のない?」って言われるとかね。
聖書にもあるとおり、神に対して、つまり人に対して弱さを隠そうとするのは罪だと改めて教えてくれた。

深くアダムを理解した義父の最後の機転とウインクも忘れません。

料理人アダム、寿司弁当にわさびチューブ、七味まで持参しててナイス。

原作。一人芝居にも脚色できそう。

トレーラー。

映画 The Father を家で見た。アンソニー・ホプキンス is 『ファーザー』

フローリアン・ゼレールの手によるアンソニー・ホプキンスの優れた「一人芝居」。

これまでに出会った、そして今まわりにいる認知症患者のいろいろなシーンが次々に掘り起こされること必至。
肉親については、死別して悲しみに耐えるよりも、認知症を患ったかれらと向き合うほうがはるかに苦しいと私は思う。
アンとポールという形で描かれているように、日々淋しい別れを繰り返しつつ、憎しみまでわいてくるのだから。

患者本人の戸惑いをわずかながら体感できる仕掛も巧み。
彼みたいな被害妄想系は辛いはず。
実際、私の曾祖母がこれで、「辛い毎日です(私を曾孫だと認識していないので敬語)」と言っていたのだ。
しょっちゅう「枕が盗まれた」と騒いでは、「誰がそんなもん盗るんよ?」と祖母に言い返されてバトルになっていた。

また、理性のきいた状態では言わなかった悪態をつくのもしんどいと思う。
聞かされる周囲はもちろん、本来なら隠したかったはずの部分を出してしまう本人にとっても。自分の尊厳を自分で崩壊させてしまうんだよ...。
直接の知人にはいないが、友人の一人が、ご母堂から初めて「バカ野郎」とどやされて心底仰天したと言っていた。
母の辞書にそんな言葉がストックされていたとは、と。

あとね~、アンソニーが調子よく客人にウィスキーでも?と言ってアンに用意させるのムカついた。
ケアラーに回ったことのない人がボケる地獄。
知人男性が、祖父母の介護にヘルパーさんに来てもらっている家族について陰で「外の人に世話を任せている冷たい家族」とさばいていたのを思い出してしまって。そういう人は絶対に自分はケアしないんだよ怒

ファーザー(字幕版)

ファーザー(字幕版)

  • アンソニー・ホプキンス
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日本では橋爪功主演で原作の戯曲が上演されたようですね。私も舞台で見たい。

欧州各地の戯曲賞を総なめにしている原作。

トレーラー。

映画 Sound of Metal を家で見た。『サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ』

充実したロードムービーだった。

最後まで見て、タイトルがぴったり立ち上がってくるような。
そもそもsoundは興味深い言葉で、空気を撼わせる音と、undisturbed, secureのような静かなイメージの両方を備えている(但、前者はラテン語由来、後者はゲルマン語の「健康」由来の同音同綴異語)。
メタルも途中からそっちかー、と思うはず。

チェリストの友人が常々「世の中の人工音はことごとく大きすぎる」と言っていて、映画館も一緒に行けないのだが、彼女は手術後のルーベンのように感じることもあるのだろうか、と想像した。

冒頭、はよステロイド打ってもらいなよーーー!と焦ったけど、間に合わなかったんやろか。打たないほうがいい人もいるの?

時系列的に聴力が戻る可能性が前提に流れているとはいえ、ミュージシャンとしての苦しみはあまり描かれていなかったような。

学生の頃、デフシアターに通ったり、耳の聞こえない学生に同席して講義のスクリプトを取ったりしたときのことをあれこれ思い出した。
今はこの映画で説明されているように、もっと便利なソリューションが実現しているはず。

ASLといえば、大統領選勝利宣言の通訳がめちゃくちゃ素晴らしかったので見て。
ふたりが選んだ登場曲の歌詞(重要)、観衆の歓声、ホーンの音まで見事に再現している。

トレーラー。

映画 Rose Plays Julie を家で見た。Joe Lawlor × Christine Molloy『ローズ・プレイズ・ジュリー』

ブリテン諸島の美しい風景の中で繰り広げられる母娘の復讐劇。
「ジュリー」の登場で自分が幸運な人生を送ってきたことに気づいた悪者、最期までラッキーなのだった。
娘が獣医学生でよかったな怒

キャンパスレイプ未遂のエピソード、現場を押さえられた学生が普通にキャンパス歩いてるの、おかしい。
Herself『サンドラの小さな家』に続いてアイルランドの女性の人権の扱い、やばくない?

劇中劇のしょぼさはちょっと残念だったが、俳優母役のOrla Bradyの深みは大変魅力的。メーキャップも素敵だった。

レイプ加害者の名前を尋ねた娘、精神的な傷を語った文脈で「事件以来その名前は口にできない」という母に「じゃ、スマホに入力して」って、まさかそれ言うか、オカンも応じるんかーいと笑ってしまった。
一休さんじゃあるまいし、そういう問題じゃないだろう。

トレーラー。