英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 Yes, God, Yes を家で見た。ナタリア・ダイアー『ストレンジ・フィーリング アリスのエッチな青春白書』

今、カリフォルニアでは感染者の増加に伴って室内の集会が禁止になり、教会は厳しい状況にある。
それでも、近隣のいくつかの教会は顧問弁護士の言質を取った上、州のオーダーが憲法違反であることは明らかだとして、責任の所在を明確にして(自分の責任で出席する旨、オンラインで署名)集会を開いている。ただ、不安な人や感染してしまった人もいるので、オンライン礼拝も引き続き用意されているようだ。
で、そのうち2つの教会が州知事を提訴した。見事にコンバージョン・セラピー禁止に反対する声明を出していた教会である。

…そんな面倒なことしなくても、と思う。
一時的に集会ができなくても、助けが必要な人に手を差し伸べることに何の問題もないのだし、誰かと祈りたければ小さく集まるなり、電話をするなりでいいじゃん。
うちの教会は素直に青空礼拝に切り替え、中継も続けている。とりあえず、その合理的な姿勢は私には合っている。神は理性の権化だから。

この映画は、ある意味、聖書の言う集会に固執する教会と似たところを持つカトリック業界(教会のタイポではない)が舞台。
編集も音楽もパフォーマンスも拙くて見づらいが、興味のあるトピックなので見られた。

カトリックにもいろいろ派があるのだろうが、やっぱりここに描かれているようなシステムはダメだと思う。聖書的ではない。
人間の中にも一段清い人がいる、という設定ゆえに偽善が起こりやすくなる。
むしろ罪の意識を積み上げ、倍加させる。
イエスは何より人間の罪責感を取り除きにきたのにね。逆走してどうすんのよ。

下手するとコンバージョン・セラピーと同様に人が死ぬと思う。
罪の意識、ひいては悪い霊が蔓延して。
この映画の中でも一人、フラグが立っていた。
あの手の危ういリトリートは、一部の本当に献身なスタッフの祈りゆえに、あるいは悪魔の企みのゆえに、かろうじて成り立っているのだろう。

アリスとバーの女性との地獄語りは良かった。大学進学についての超具体的な助言もね。
たまたま昨日、Sports Illustrated Swimsuit号の権威について知ったところだったので驚いた。おかげでおばちゃんの話がよく分かったのだが、神の意志は妙なところで働くものだ。

リトリートに参加した生徒たちの悲壮な?証や告白を聞く側の「受け」はいちいち良し。笑った。

京都ちゃんて名前、かわいいわね。三毛かな。パリス・ヒルトン的なセンスか。

しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。(黙示録21:8)

↓もはや、邦題に突っ込む気なし。Yes, God, Yesのニュアンスをつかもうと思ったらいくつか元ネタを知らないといけないし。

トレーラー。

映画 House of Hummingbird (2018) を家で見た。『はちどり』全米公開

主演のウニちゃんの体の通りの良さに驚嘆。
彼女にとって感覚をすみずみまで行き渡らせることができるのは指先だけではない。

『ドライブウェイズ』に続き、とても文法の正確な作品。クリシェだらけという意味ではなくて、この動詞にはあの形容詞の組み合わせがしっくりくるよね、というコロケーションがきっちりしてる。

あの家族、すごくヘン。
子どもに対する関心が微妙なのは分かった。
でも、毎日おいしそうなおかずをたくさん並べて一緒に食べてるんだよ。ウニも母親のチヂミが大好きらしい。
それではたしてあんな仲悪い集団ができあがるだろうか。
手の込んだ料理を毎日一緒に食べることで仲良し家族を演じる仮面家族、という話なら日本の小説で何度か読んだことがある。
でもこの家族の場合は他者にも自分にもそういうアピールの必要性に迫られていない...。

少なくとも、朝ごはんさえ食べさせていれば子どもはグレない(@田辺聖子のご夫君)という真理を二度目のチヂミシーンが物語っていた。

10歳くらいのころ、ふと気づいたことがある。お母さんがごろごろしてる姿を見たことがない!って。
それはすごいことだったのだと改めて思った。
ウニのお母さんは働き者だけど、お父さんに浮気され(多分)、いつも疲れていて、しょっちゅうもの憂く昼寝してる。そんなの誰も責められないしお母さんに共感するけど、ウニちゃんは不安をつのらせていた。

「子どもは毎日幸せにしたらなアカンのに」という『大阪ハムレット』のおっちゃんのセリフが何度もオーバーラップした。

本作では「急いで」ハングルを書くシーンが何度かあるけれど、英語だけでなくひらがなに比べても書くのに時間かかりそうに見えた。世界で一番合理的な言語のはずなのに。

Peter Sobczynskiの批評には、単数形のtheyが使われていた。
https://www.rogerebert.com/reviews/house-of-hummingbird-movie-review-2020

地元映画館のオンラインプラットフォームにて英語字幕で鑑賞。
138分、スタンディングデスクで立ち続けたまま最後まで見てしまった。

愛すべきなにわ語マンガ、『大阪ハムレット』。子どもを幸せにするリサイクル屋おやじが登場するのは第2巻。

トレーラー。

映画 Irresistible を見た。ジョン・スチュワート × スティーヴ・カレル『スイング・ステート』

期待のPlan B作品だったが駄作。2020年にタイムリーというだけ。
赤と青のステロタイプや、キャンペーンのチームがどういうものなのかが垣間見られる面白さは少し。

種明かしを見れば演出かとは思うけど、本筋の外で出てくる街の人たちがいちいちわざとらしくて見るに堪えない。
特に要所要所で通りかかるばあさんとか『トゥルーマン・ショー』の趣。
設定も同様で、カレルにダジャレを言わせるためだけにあんな小さな街に尼さん集団がいることになってるし。

さて11月だけど、私は覚悟はできている。
もちろん政権は変わってほしいし、アレがアレしてるのを今でも信じられない思いで見ているけれど、この4年間、既得権金持ちや白人至上主義者以外のアレ支持者の切なる声も聞いてきたゆえ、かつその盤石さも知ってのことです。
今の状況ゆえに、新しい投票手段、調子にのって暗躍しまくるハッカー含めた投票所の混乱の心配もあります。
とにかく、神のみ旨に沿った結果になるように。祈るのはそれだけです。
ただ、ランニングメイトはカマラ・ハリスがいーなー。サンダース並みの大きな政府志向だからバランスとれると思うし、何より気さくで素敵な人なのよ(インタビュー映像等での印象です)。

トレーラー。

映画 My Darling Vivian を家で見た。ジョニー・キャッシュと『マイ・ダーリン・ヴィヴィアン』

ジョニー・キャッシュの、ジューン・カーターでないほうの妻、ヴィヴィアンの生涯を4人の娘たちが語る。
前田ハウスで話題の SXSW 2020 出品作だが、イベントが初めて中止になったため、オンラインプレミア。

50年代、60年代のメンフィス、ロサンゼルスのバレーの映像が楽しめる。

職業ハウスメーカーのヴィヴィアン、少なくとも4人の子育てのクレジットは彼女にあるべきなのに(実際、ほぼ1人で育ててるし)、ジョニーとジューンがそれさえ奪ってしまう。サイアクだ。ジョニーのお別れ会でもまるでいないことにされてるのがひど過ぎる。

聞き捨てならなかったのは、熱心なカトリック信者ながら、離婚したために聖餐を受けられなくなったという話。娘の1人は、そのせいでカトリックから離れたという。当然だ。聖書を教典にしていながらなぜそんなイジメに走るのか。うちの教会だったら半分以上の人が聖餐受けられなくなるわ笑
後に、ヴィヴィアンにとって信仰がいかに重要かを知っていたジョニーが教会に「離婚は自分のせい、彼女は悪くない」と手紙を書いて再び聖餐が受けられるようになったというが、それもますますバカバカしい。厳禁だった炭酸が、コカ・コーラ社長の入信以来OKになった某教会かよ...。

若い2人がやり取りした手紙の筆跡の美しいこと。
封筒に入ったラブレターをもらえたのは私の世代が最後ではないか。
私は残念ながら書くほうは経験しないままだけれど、男子たちから切実な手紙を見せてもらっては(そう!年齢に関わらず、コドモは見せびらかすんだよ!!! 特に男子!!! だから絶対書きたくなかったんだよ!!!)書き手の思いの純粋さに驚嘆したり、時には勘違い的妄想にちょっとウケたりしていた。
今の若い人はそもそも手書きの手紙をもらえることはほぼなかろうね、気の毒に。

離婚後は、娘によるとなぜかジョニーより先に再婚しなくては、と焦り、取引みたいな結婚をしたヴィヴィアン。でも、愛したのはジョニーだけだったという。彼亡き後は「彼のいない惑星に生きてたって意味がない」とさえ。
娘の言葉、"She never falls out of love with my dad"が素敵。

娘たちが口々に「母はこの映画を目にするのが嫌で公開前に慌てて死んだんだ」と言う2005年の『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』。
ヴィヴィアンをジニファー・グッドウィン、ジョニーをホアキン・フェニックスが演じるが、ジョニーの自伝が原作で、主役はジューン・カーター(リース・ウィザースプーン、本作でオスカー獲得)とのカップル。そりゃ見たくないわ。

ヴィヴィアン本人のアカウントはこっち。

CBS Newsで放映されたPR。

映画 Miss Juneteenth を家で見た。Channing Godfrey Peoplesの『ミス・ジューンティーンス』

155th anniversary of Juneteenthに。
奴隷解放宣言から実に2年半後の1865年、米国で奴隷制がオフィシャルに終焉を迎えた日である。
今週になって急に各地の自治体や企業がこの日を記念しようとPRを始め、私も初めて知ることになった。
近所の銀行からも「今日はJuneteenthをおぼえて半ドン営業にします」と連絡がきた。

公民権運動の「意外に最近」感に比して、こっちはフロンティアの消滅よりも前で現在の状況も考えると随分昔だなという気がする。
この長きにわたって問題は埋め込まれたままであるということ。

最後に解放が伝わった町、テキサス州フォートワースのブラックコミュニティで起きたある継承の物語。
本作で長編デビューしたChanning Godfrey Peoples監督も、子どもの頃からJuneteenthを祝うのが習慣だったそうだ。
映画の中でJuneteenth博物館の見学もできるし、ガイドさんから解放の日の説明も聞ける。

孫はあずかれないよ、あんたの子でしょ、と孫の目の前で言うおばあちゃんさすが。
毎週末に孫が来て面倒をみることが恒例になってしまい、実の子に「もうヤダ、しんどい」と言えないまま10年たってる日本の友人のことを思った。
が、このおばあちゃんには別の顔があって、偽善というはるかに大きな罪をおかしていることが分かるのだが...。
あれは一番やばい。娘が寄り付かないのも当然だ。残念ながら彼女がいる限り、あの教会は栄えない。

姉妹みたいに年の近い母娘3代。彼女たちも、まわりの男性たちも、みんな、若すぎるのが諸問題の根源だと思う。
She doesn't know what she is doing のまま、家族を再生産すると、少なくとも彼女たちの社会ではただただ貧乏ばかりが繰り返されてしまう。

バーオーナーのおっちゃん。
「黒人にアメリカンドリームなんかない。目の前にあるものにしがみつくだけ。でも、たとえオサレじゃなくてもそれは自分のもの。Free and clearだ。大事なものがあるなら絶対に誰にも渡しちゃだめだ」
(Free and Clearは一切の負債がない状態のこと。ちなみに、イエスの辞世の句は「完了した」なんですけど、原語は金融用語で「完済した」の意。私たちを完全に買い取った、と言われて身代わりに死なれました)

Ph. Dをとると、Mr.とかMs.とかそれ以外にも人間を分類するあらゆるタイトルから自由になれてナイスだ、と誰かが言っていた。
彼女たちが、マヤ・アンジェロウを普通にドクター・アンジェロウと呼ぶのを聞いて、ほんとにそうだなと思った。ただ、実はアンジェロウは学位を取得していない。自分でドクターと呼んでもらいたがったとのこと。それもよし。
先日、トレバー・ノアもトークゲストのバイデン副大統領に「ドクター・バイデンにもよろしく伝えて」と言っててすがすがしかった。ジル・バイデンは教育学博士。
同時に日本語の「さん」「さま」の良さにも気づくのであった。相手の属性を知らずして敬意を払うことができ、人を分けない。日本語、いいね。

そして何よりも、名前を奪われてはいけない。
Miss Juneteenthでもなく、自分だけのタイトルを。

聖書的だな~。千と千尋だな~。

トレーラー。

Google先生がちょっぱやでこさえたのであろうDoodleがいい。コロナ禍の中、5月のメモリアルデーの事件が起こる前から準備していたというなら、それはそれで機を見るに敏。

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