ところで、地元の映画館からBLMに連帯してどのような取り組みを今まで以上に行うかを説明したステートメントが届いた。上映作品のチョイスから、映画の喜びを十分に享受できていないと思われる人々にどうリーチするかまで。ジョン・フォード作品『リバティ・バランスを射った男』の名句、"when the legend becomes fact, print the legend." 「人々が伝説を信じ始めたら、我々は伝説を選ぶべきだ」を引いて、今は、factだと思い込んでいる事柄を再検証するときだ、と。伝説を事実にしてしまうのは、あらゆる人にとって危険なのだと。そして壮大な締めに、米国史学徒はちょっと涙した。
I hope you’ll all join me in a sincere effort to make our country the "more perfect union" that our founders envisioned.
私が通ったキンダーガーデンでは、クラスの7割は自分も含めて有色人種だった。黒人のナターシャ、キーシャ、そしてベッシー先生は特別にやさしくて、いつもかれらのきめ細かいオシャレな編み込みを驚嘆して見つめていた。お父さんやお母さんがやってくれるとのことだったが何と器用なのか。カフェテリアの真ん中にはマへリア・ジャクソンみたいな見張りおばさんが立ちはだかっていて、壁の信号を操作していた。子どもたちがmessなときは信号が赤になる(「東京アラート」みたいなもの...)。緑のときは"Oh, my goodness"と言って満足そうにほほ笑んでいた。特に行儀の悪いことをした子どもを名指ししては自分のテーブルで食べさせる。私も一度呼ばれたときは心底恐ろしくて、Youよ、You!と言われて、ナターシャの背中に隠れたりした。それでも子どもたちはよく大人を見ているもので、彼女を愛していた。おばさんに自分が描いた絵をプレゼントする子どもは絶えなかったし、「おばさんのテーブル」の前にはそんな贈り物がたくさん貼ってあった。
The Hate U Give 『ヘイト・ユー・ギブ』
最近、黒人少年が殺されないために親からどんなことを教わるのかという投稿がバイラルになったが、この作品もまさにそんなシーンから始まる。タイトルが示すとおり、誰もヘイトを抱えて生まれてくるわけではない。子どもではなく大人の、そして黒人ではなく白人の問題。
The Long Walk Home『ロング・ウォーク・ホーム』
最後に、昔、日本の深夜放送(この放送枠で知った佳作はいろいろある。吹き替えではなく字幕での放送も多かった)で初めて見て以来、好きなシーンが多すぎて何度も見返している古い作品を。最後の少女のモノローグを、まさに自分のこととして噛み締めずにはいられない。