英語あそびなら天使の街

在L.A.言語オタ記。神さまのことば、天から目線の映画鑑賞日記。

映画 The Surrogate (2020) を家で見た。『ザ・サロゲート 代理母』

米連邦最高裁がLGBTIらの権利が保護される「歴史的判断」を示した日に。

といっても、これはゲイカップルが代理母の助けを借りて子を授かる物語ではない。
生命倫理の講義シラバスに並ぶようなトピックスがてんこもり、さらに主人公が高学歴アフリカ系make a difference系NPO勤務ルーキーで話が入り組む入り組む。

ほんの少し前にも、ダウン症児を養子に迎えたものの「ムリ」と手放した子沢山YouTuberが物議を醸した。

本作でも多くの善意の人々のムリムリソーリービームが充満。
同時に、授精した時点でソウルが宿る、などと言いだす人の不気味さも描かれている。
(彼女はニューエイジ系っぽいけど、Pro Life州の人たちも同じようなことを言っている)

優生思想を社会が強靭に拒むには、子どもを社会全体で育てる枠組みがさらに強くなければならない。
子どもを個人の所有物と思うから、代理母というアイデアが出てきたり、「ノーマルでない」子育てが腫物扱いされたりするのだ。
でも資本主義先進国では子どもはどんどん贅沢な所有物になっていく一方...。

最近では、アンダーソン・クーパーが代理出産で子どもを迎えたことを発表したが、あれなんかリッチのきわみである。ちょうど1年前に母親(グロリア・ヴァンダービルト。クーパーがヴァンダービルトの末裔であることを、私は彼女の死去の報道で初めて知った)が亡くなり、思うところあったのだろうけど、トシだし、人さまのお腹を借りなきゃいけないし、生まれた後も自分がつきっきりで育てられるわけでもないのに、すぐに希望がかなったのだから。

「フツウのカップルみたいに子どもがほしいんだよ、フツウの子どもが」というエゴに屈服せざるを得なかった2人と、自分の手元からtangibleに世界を変えたいと望む主人公はこれからも友達でいられるのかな。カップルの望むようにまたトライすることになるのかな。私がJessだったら難しいだろうな...。

映画館閉館中に家で見た作品の中では一番入り込んで見た。つまり、一度もスマホを手に取らず時間を忘れた。

Happy Pride.

トレーラー。

Vimeoに地元映画館のコードを入れて鑑賞。
映画館に一部収益が行くはずだけど、むしろ安くなるのはなぜなのだ...。
Watch The Surrogate Online | Vimeo On Demand on Vimeo

映画 Shirley を家で見た。エリザベス・モス is 『シャーリー』

見る者に気を遣わせる作品。というか、私が勝手に気にしたんだけど、時代が微妙に昔(60年代)なので、このストーリーラインでこの美術をあつらえなきゃいけないなんてつらいコストだな、って...。

変態がいっぱいで全然好きではない。
ボーダーを超える表現の中で、卵やサンドイッチを眼の端で捨てる、というシーンがあって生理的に無理を感じた。

NEONが廉価で配信してくれているので、原作が好きな方は挑戦してみてください...。
https://neonrated.vhx.tv/products/

ところで、地元の映画館からBLMに連帯してどのような取り組みを今まで以上に行うかを説明したステートメントが届いた。上映作品のチョイスから、映画の喜びを十分に享受できていないと思われる人々にどうリーチするかまで。ジョン・フォード作品『リバティ・バランスを射った男』の名句、"when the legend becomes fact, print the legend." 「人々が伝説を信じ始めたら、我々は伝説を選ぶべきだ」を引いて、今は、factだと思い込んでいる事柄を再検証するときだ、と。伝説を事実にしてしまうのは、あらゆる人にとって危険なのだと。そして壮大な締めに、米国史学徒はちょっと涙した。

I hope you’ll all join me in a sincere effort to make our country the "more perfect union" that our founders envisioned.

原作。

トレーラー。

いま改めて見たい映画 #BlackLivesMatter

昨日は全米で過去最大規模の抗議行動が行われた。うちの近所でも30名規模の連帯デモがいくつか。私は13THを見直し、付き合いのある黒人教会に特に連帯を示し、自分ができる中では最大のインパクトだと考えることをした。
ちなみにこの教会は本当にすばらしい教会なのだが、若い教会員の自殺が多いのが深刻な問題になっている。

私が通ったキンダーガーデンでは、クラスの7割は自分も含めて有色人種だった。黒人のナターシャ、キーシャ、そしてベッシー先生は特別にやさしくて、いつもかれらのきめ細かいオシャレな編み込みを驚嘆して見つめていた。お父さんやお母さんがやってくれるとのことだったが何と器用なのか。カフェテリアの真ん中にはマへリア・ジャクソンみたいな見張りおばさんが立ちはだかっていて、壁の信号を操作していた。子どもたちがmessなときは信号が赤になる(「東京アラート」みたいなもの...)。緑のときは"Oh, my goodness"と言って満足そうにほほ笑んでいた。特に行儀の悪いことをした子どもを名指ししては自分のテーブルで食べさせる。私も一度呼ばれたときは心底恐ろしくて、Youよ、You!と言われて、ナターシャの背中に隠れたりした。それでも子どもたちはよく大人を見ているもので、彼女を愛していた。おばさんに自分が描いた絵をプレゼントする子どもは絶えなかったし、「おばさんのテーブル」の前にはそんな贈り物がたくさん貼ってあった。

そこは今でいう真っ赤な州で、行く場所に行けば白人しかいなかったし(おハイソ教会とか大学とか)、親はいろいろとイヤな思いもしたようだが、子どもの私には楽しいことしかなかった。ただ、人種に対する意識として、カフェテリアでミルクかチョコレートミルクを選ぶときに「黒くなりたくないから、チョコレートミルクは飲まない」とまわりの日本人の大人に言ったことを覚えている。本当にそう信じていたのではなく、それがウケるだろうと思って言ったのだ。今でも覚えているのは、自分で言っときながら違和感と罪悪感が生じていたからではないかと思う。

大学では米国史で卒論を書いたのだが、テーマは1930年代の貧乏白人の出エジプト記。人種問題の変数には全然考えが及んでいなかった。また、これまでに見た映画の表象を思い起こし、真剣に怒りを共有したい。

映画タイトルは、鑑賞日の日記にリンクしています。

13TH 『13th -憲法修正第13条-』
NetflixがYoutubeで無料公開してくれている。「差別されているのは黒人だけじゃない」という物言いが問題をマスキングしていることに気づくために。通りに出ている子どもたちも、All Lives Matterなんて言われなくても分かってます。

Just Mercy『黒い司法 0%からの奇跡』
13THにも登場する弁護士、ブライアン・スティーブンソンが米国の司法の闇を伝える。
複数プラットフォームが連帯を示して無料公開しています。https://www.justmercyfilm.com/

Selma『グローリー/明日への行進』
MLKとセルマ大行進。実は私はこの映画の中では、運動の支持に回った白人たちが追跡を受けて殺されてしまったことに衝撃を受けた。

Queen & Slim 『クイーン&スリム』
「警官に止められたら終わり」。2人には逃げる選択しかなかった。

Harriet 『ハリエット』
自由への闘争を率いたハリエット・タブマンの生涯。

Toni Morrison: The Pieces I Am 『トニ・モリスン ザ・ピーシズ・アイ・アム』
「この国ではアメリカ人とは白人を意味する。それ以外はハイフンを付けなければならない」。
「私たちは言語をすなるもの。どんな言語を紡いだかが人生を決めるのではないか」と言ったトニさんが掘り起こした小さき者の声。

The Last Black Man in San Francisco 『ザ・ラスト・ブラックマン・イン・サンフランシスコ』
黒人の位相から切り取った金満の街、サンフランシスコ。

Amazing Grace (2019) アレサ・フランクリンの『アメージング・グレース』
ソウルの神髄。アメリカの「国教」としての多面体のキリスト教の一側面。元は奴隷の時代に白人から伝道されたのだろうと思うと複雑だ。

Beale Street Could Talk 『ビール・ストリートの恋人たち』
社会によって不当に引き裂かれたカップルの魂のうめき。

Green Book 『グリーン・ブック』
白人のオナニー映画として批判もされた作品だが、黒人が自由に旅行できなかった歴史の一端を垣間見ることができる。

The Hate U Give 『ヘイト・ユー・ギブ』
最近、黒人少年が殺されないために親からどんなことを教わるのかという投稿がバイラルになったが、この作品もまさにそんなシーンから始まる。タイトルが示すとおり、誰もヘイトを抱えて生まれてくるわけではない。子どもではなく大人の、そして黒人ではなく白人の問題。

BlacKkKlansman 『ブラッククランズマン』
シャーロッツビルの事件のちょうど1年後に公開。白人至上主義のいかがわしさを炙り出した作品。

Blindspotting 『ブラインドスポッティング』
場所はオークランド。「息ができない」苦しみをわずかながら体感できる。

Sorry to Bother You 『ホワイト・ボイス』
『ブラッククランズマン』にも描かれていた白人界に生きるための知恵を盛り込み、皮肉る。

Black Panther 『ブラックパンサー』
エリック・キルモンガーの苦悩にこそ。

Mudbound 『マッドバウンド 哀しき友情』
Netflixで見られるはず。一緒に従軍しても溶けることのない人種間の垣根。

Marshall (2017) 『マーシャル 法廷を変えた男』
アフリカ系として初めて最高裁判所判事になったサーグッド・マーシャルのむちゃくちゃ象徴的なケースを描く。13THでも紹介された『國民の創生』に表されていた、「白人女性を襲いたがる黒人」という白人目線の虚偽の問題設定を扱っている。

Get Out 『ゲット・アウト』
「私にも黒人の友達がいるし」の問題点を巧みに指摘。ラストで返り討ちにあった白人女性が、パトカーが来たのを見て自分に利ありと助けを求めるシーンは、最近、NYで黒人に注意された白人女性が警察に「アフリカ系アメリカ人に暴力をふるわれている」とウソを訴えた構図と全く同じ。

Hidden Figures 『ドリーム』
地上が慌ただしすぎて別世界の話に思えるけど、先週、民間のスペースシャトルの打ち上げが成功。スポークスパーソン陣やミッションコントロールに(少なくとも絵的には)多様性が見られたことは喜ばしい。それにしても宇宙飛行士が絶対コロナにかからないというのをどうやって担保できたのだろうと思うわ。

Moonlight 『ムーンライト』
面と向かってされる差別からさえ遠い、黒人社会の内部の抑圧。この映画がアカデミー作品賞をとったことさえ、白人の内輪ノリと思われる面がまだまだあって根深い。

Loving 『ラビング 愛という名前のふたり』
人種間の結婚が禁じられていた時代について。

Southside with You 『サウスサイドであなたと』
オバマ夫妻と、彼らが生きたブラックコミュニティ。

The Long Walk Home『ロング・ウォーク・ホーム』
最後に、昔、日本の深夜放送(この放送枠で知った佳作はいろいろある。吹き替えではなく字幕での放送も多かった)で初めて見て以来、好きなシーンが多すぎて何度も見返している古い作品を。最後の少女のモノローグを、まさに自分のこととして噛み締めずにはいられない。

映画 Tommaso を家で見た。ウィレム・デフォーのFound in translation『トマーゾ』

(元)依存症患者の心象風景を追った作品の中では今までに見た中で一番面白かった。
そもそも、Lost and found in translationの物語は、私が常に惹かれるテーマ。

ローマに根を下ろしかけのアメリカ人デフォーが、イタリア語のレッスンを受け、英語話者のAAに通い、イタリア語通訳を立ててストレートプレイを教える日常に耳を傾けるだけで楽しくなった。
立ち飲みカフェで、八百屋で、そして初々しい家庭で彼がイタリア語を使うさまは、Eat, Pray, Loveですよ。

現実と妄想・幻想が入り混じる構成はよくあるけど、妄想部分(曖昧だが)がめんどくさくなく、さらりと見られるのも良かった。

私はその片鱗を知っているだけだが、過去の充実と栄光の記憶にからめとられて抜けられなくなったら、ほんとうに苦しい。いま持っているものにどうあがいても安住できないのは、この世の地獄ではないだろうか。

デフォーはThe Lighthouseにつづいて「トマス」役で意味深(TommasoはThomasのイタリア語名)。ちなみに私は聖書の中にトマスがいてくれてよかったと思ってる。

地元映画館のオンライン配信プラットフォームで鑑賞。

トレーラー。

映画 Diana Kennedy: Nothing Fancy (2019) を家で見た。『ダイアナ・ケネディ:ナッシングファンシー』

コロナがすっかり過去の話になった。
もちろん実際は過去になってないのだが、この1週間で世間のサイキが一変した
路上に出ていくのに「集まるのは危ない」なんてまったく意識にのぼらなかった。

「料理の文化人類学者」の称号にふさわしい、ダイアナ・ケネディのメキシコ旅のメモワール。
ミチョアカンの深い緑、チリ、ライム、コリアンダーのクリスプな色彩がまぶしい。

(私も大方の例にもれずあまりコリアンダーが得意ではないのだが、ダイアナは「コリアンダー入れないでとかいう人がいるけど、そんな奴は招かんでええ」と喝破していた笑。昔、キムチや寿司の魅力が全然分からなかったのに今は大好きなので、大人になるほどに美味しいと思えるようになるだろうと期待している)

The Art of Mexican Cookingの一瞬一瞬が快楽で、彼女と一緒に思わず身を乗り出して鍋の中を覗き込んでしまう。
(このArtを一語で表す日本語はない。「芸術」とも「技術」とも言い切れない「リベラルアーツ」のアート)

料理3年生からレストランを経営する熟練のシェフまでが集まったブートキャンプ、お料理教室を撮ったシーンが面白かった。
ひたすら食べ物におおいかぶさるようにしてしゃべりまくるダイアナ。
市場でも汗をかきまくっているであろう腕でタコ生地を叩きのばしている場面が出てくる。

ウイルスは唾液に濃厚に含まれているという。
以前から、作る人がしゃべりまくってる厨房ってまあ衛生的ではないよね、でも事故を見込んで成り立っている自動車社会と同じで、「そのくらいは」で世間の契約ができてるよのね、と思っていた。
でも、いったんその人たちがマスクをつけ始めると、つけないで食べ物を扱うのはあり得ない気がしてくる。

でも、気持ち悪いことを言うようだが、手作りの一皿は人の体液込み、その場の塵埃込みで美味しいのかもしれない、とこの映画を見て考えた。
おにぎりや寿司が旨いのはじかに手で握るから。愛情~とかじゃなく、物理的に「なにか」が足されているから。
カリフォルニアでは食べ物を直接触ってはいけない規則なので、寿司も手袋をはめて握られる。すると、不思議と寿司ロボットと変わらない。
これに加えて、マスクが必須になったら?

最近、日本の人でも誰かが握ったもの、さらには誰かの手作りが無理、という人がいる。気持ちは分かるけれど気の毒だと思う。
料理ではなく、工業製品を食べるしかなくなってしまうではないか。

死期は自分で選ぶものである(うちの牧師も同じことを言っていた)、見ること、料理すること、食べることができなくなったら私は消えるだろう、と言っていたダイアナ。
彼女の時代は終わってしまうのだろうか。

彼女が自分に与えられたものを活かそうと努めてきたことを話しながら引用したタゴールの詩をメモしておく。

"Let me light my lamp," says the star, "And never debate if it will help to remove the darkness"

そして、「メキシコの養女」ダイアナが英語らしくて好きだと言っていた言葉は、comeuppance.

Very Mexican in her soul.

再び、地域の映画館に収益が入るプラットフォームで鑑賞。
https://dianakennedy.vhx.tv/products

タイトルになった彼女の代表的クックブック。

トレーラー。